風見鶏といえば屋根の上に取り付けて風向を見る器具だが、枕ことばに「政界の」と付けば2019年に死去した中曽根康弘氏を思い出す人も多かろう。1982年11月から3代にわたり首相を務め、国鉄や電電公社の民営化を断行した希代の政治家である
▼佐藤栄作首相批判派の急先鋒でありながら入閣の要請を断らなかったり、田中角栄の威光を借りて首相の座を目指したりと、とにかく風を見るのがうまかった。本人も風見鶏大いに結構と考えていたようだ。権力を持ってこそ自分の掲げる政策を実現できるとの信念があったからである。変わり身の早さも頂点に上り詰めるための方便。どれだけやゆされようと臆することはなかった
▼ところで変わり身が早いことにかけては岸田首相も負けていない。他の人より優れていると強調する〝聞く力〟を存分に発揮した結果だろうか。就任当初から撤回や軌道修正が目立っていたが、ついに新型コロナ対策の根幹ともいえるワクチン政策でも宙返りが飛び出した。2日の衆院予算委員会で立憲民主党の長妻昭氏に、3回目接種の「1日当たりの目標を立てては」と提案され、首相は「一律に何万人と掲げるのは適切と考えない」と否定。ところがその舌の根も乾かぬ7日、同じ場で「1日100万回を目指す」と表明した。変えるのが悪いわけではないが、どうにも信念が感じられない
▼首相に就任してからの中曽根氏は強いリーダーシップを発揮し、ぶれることもなかった。風見鶏は必ず風上を向く。〝聞く力〟の主はただ風に流されているだけではないか。