哺乳類なのに鳥のような翼を持ち空を飛ぶ。コウモリはその特異な生態から、場に応じてころころと立場を変えるずるい生き物の象徴とされてきた。イソップ物語の「卑怯なコウモリ」が典型だろう
▼ざっくりまとめるとこんな内容だった。獣族と鳥族がけんかをしているとき、獣族が優位になると「私は獣の仲間です」とすり寄っていき、鳥族が勝つと見ると「私は鳥以外の何者でもありません」と手のひらを返す。結末はご存じの通り。けんかが終わった後、コウモリは獣族からも鳥族からも信用されなくなり、洞窟で一人寂しく暮らすようになりましたとさ―。このところの立憲民主党のドタバタ劇を見ていて思い出した話である
▼発端は立憲と国民民主党、日本維新の会、無所属議員の衆院会派「有志の会」の野党4党で14日、国会対策について協議する場を設置したことだった。これに共産党が不快感を示し猛反発。すると立憲は翌日15日、4党協議を白紙に戻し、なかったことにしてしまったのである。あるときは中道・保守勢力の仲間のように振る舞い、また別のときは共産党の同志のように行動する。立憲としては生き馬の目を抜く政界で存在感を保ち続けたいがための苦肉の策なのだろう。ただ、端から見ると何をしたいのか分からない
▼あちらにもこちらにもいい顔をしようとした結果、逆に影が薄くなり、信用もなくしつつあることに気付いているのかいないのか。支持者だって右往左往するコウモリを観察したいわけではあるまい。このままでは遠からず洞窟で細々と暮らす羽目になる。