エッセイストでロシア語通訳の米原万里さんが著書『必笑小咄のテクニック』(集英社新書)でロシアのこんなブラックジョークを紹介していた
▼「ヒゲの独裁者は馬鹿だ」と発言した男が逮捕され、裁判にかけられる。判決は15年の強制労働。男が「ヒットラーのこと」を言っただけなのにと抗議すると、判事は勘違いに気づき、すぐに男を釈放する。男は問う。「判事閣下は、誰のことだと思われたのですか?」。もちろん恐怖政治で国民に絶対服従を強いたスターリンのことだが、ジョークの中ではあえて名前は語られない。米原さんは解説する。「口にしない方が、文字にしない方が、ずっと『いやらしい』のだ」。不在が逆に真実をあぶり出すらしい
▼先日まで開かれていた北京パラリンピックの開閉会式であった珍事の報に触れ、米原さんの話を思い出した。国際パラリンピック委員会のアンドルー・パーソンズ会長があいさつをしている途中、中国国営中央テレビが同時通訳を突然中断したのである。開会式の時は世界で今起きていることに恐怖を感じると語った部分、閉会式は選手たちを平和の闘士とたたえ世界平和を訴えた部分だったという。ロシアのウクライナ侵略には直接言及していなかったものの、ロシア非難に通じる言葉を国民に聞かせたくなかったのだろう
▼ただ、世界最大のスポーツイベントでの出来事である。中国の思惑は世界中の人の知るところとなった。音声に、文字にしないことで逆にはっきりと真実が見えたのだ。さて、皆さんは独裁者が誰のことだと思われますか?。