経済の長期低迷が続いているとはいえ、日本がいまだ豊かな国だというのは多くの人の認めるところだろう。ある意味幸せな時代ともいえるが、先日、海外メディアがまとめた『不思議の国ニッポン』(講談社現代新書)を読んでいて少々考えさせられた
▼「多くの若者たちが、自分が年を取るまでリーダーシップを取れないことを嘆く一方、そうした制度のあり方に諦めも感じている」。そんな一文に触れたからだ。さらに輪を掛けて「安定した現状をわざわざかき乱す必要はないという人たちもいる」という。気楽な暮らしを捨ててまで世の中を変える必要がどこにある。海外メディアには日本の若者がそんなぬるま湯にひたっているように見えるのだ
▼否定はできない。ただ、若者から覇気やチャレンジ精神が感じられない理由を彼らにのみ求めるのは酷というものである。年齢構成のいびつさのせいで高齢者の発言力は増し、年長者を敬う文化がその傾向に一層拍車を掛けている。これでは若者も育つまい。これまで20歳だった成人年齢を18歳に引き下げる改正民法が1日、施行された。契約などに絡むトラブルや詐欺被害が増えるのではと心配する声も大きいが、むしろ若者にこの社会を動かす当事者であるとの自覚を促す好機と捉えたい
▼上の者が〝心配〟の言葉を使う場合、その真意は得てして〝下の者は黙って従え〟である。「青年の日はながくしてただつよくつよく噛むためだけのくちびる」光森裕樹。せっかく成人年齢を下げたのに、あれこれ余計な口を出すのでは法を改正した意味がない。