文豪ドストエフスキーの小説『地下生活者の手記』(米川正夫訳)にこんなせりふがあった。乱れた生活を送る若い女性に、主人公の男が語り掛けている場面である
▼「手遅れにならないうちに、早く目をおさまし。まだ遅くはないよ。きみはまだ若くって、器量もいいんだから、恋をすることもできようし、結婚することもできる、幸福な身の上にもなれるというものだ」。何でもない一節だが、不思議と印象深い。女性はといえば助言に耳を傾ける様子もさほどなかった。将来まずい状況になるとぼんやりとは分かっていても、今が良ければ先のことは真剣に考えない。ドストエフスキーはそんな人の愚かさや弱さを、何気ない男女のやり取りから浮かび上がらせてみせたのだった
▼今の日本はその女性と二重写しになって見える。国際環境の激変に備え、経済の安全保障についてしっかり考えておくべきと再三指摘されていたのに、政府は重い腰を上げようとしなかった。今の豊かさを過信していたのだろう。日本はエネルギーや各種原材料、食料の多くを輸入に頼っている。ところが世界的な脱コロナの潮流には乗り遅れ、ロシアのウクライナ侵略で出来したエネルギー危機にも右往左往するばかり。産業の空洞化で輸出にもかつての勢いはない
▼円が下落するのも当然でないか。13日には1㌦=126円まで下落。約20年ぶりの円安ドル高水準だったという。対ドルばかりでなくユーロや英ポンドに対しても売られ、今や一人負け状態だ。この円安を助言と思い、心を入れ替えられるか。正念場である。