いつの時代でも子を大切に思う親の気持ちは変わらない。平安時代の歌人紀貫之が赴任地の土佐から京へ帰る55日間の出来事をつづった「土佐日記」にも、子どもへの深い愛情を感じさせられるこんな一首があった。「世の中に思ひやれども子を恋ふる思ひにまさる思ひなきかな」
▼世の中をぐるりと見渡してみても、親が子を恋い慕う思い以上に強い気持ちは見当たらないというのだろう。真っ直ぐな心情が伝わる。近代では早世の詩人中原中也の「また来ん春……」を思い出す。冒頭から二節を引く。「また来ん春と人は云う しかし私は辛いのだ 春が来たつて何になろ あの子が返つて来るぢやない/おもへば今年の五月には おまへを抱いて動物園 象を見せても猫(にやあ)といい 鳥を見せても猫(にやあ)だつた」
▼紀貫之と中原中也、全く別の時代を生きたこの二人だが、共通しているのは幼いわが子を亡くしていることである。先の歌も詩も悲しみに身もだえしながら生まれた作品なのだった。親ならわが子の死など認めたくないに決まっている。だが、こちらの結末も残酷なものだった。山梨県道志村の沢で発見された骨が、3年前に付近のキャンプ場から行方不明になった小倉美咲さんの一部だと明らかになったのである
▼山梨県警が4日に見つかった肩甲骨を鑑定したところ、DNAの型が一致。美咲さんは死亡したと判断した。亡くなった経緯は分からないが、いずれにせよご両親は今、身を切り裂かれる思いに違いない。無事に家へ帰ってくる日をどれだけ待ち続けていたことか。