小説家の井上荒野さんは年に2回ほど、「プロではない人の小説」を読む機会があるそうだ。文学賞の選考などだろう。そこでいつも残念に思うのは「タイトルが下手すぎる」こと。エッセイに記していた
▼下手にも2種類ある、と荒野さんは例えを出す。一つは「本棚」のように全く工夫のないもの。もう一つが「蒼白のアンフィニ、または円周率と愛の相似点」のように、こだわりと頑張りが過剰なものだという。精魂込めて書いた作品にこだわりのタイトルを付けたい気持ちは分かるが、「いいでしょいいでしょ、これカッコイイでしょ文学的でしょ」の意識が透けて見えて逆にかっこ悪いというのである。これは人の名前にも通じると荒野さんは指摘する。いわゆる〝キラキラネーム〟も「あきらかにがんばりすぎ」
▼そんながんばりがエスカレートするキラキラネームに一定の基準を設けようと、法制審議会が検討を進めている。戸籍法部会が先頃、戸籍の氏名の読み仮名についての中間試案をまとめた。漢字本来の読みにはない独自の読み仮名を、どの程度認めるかが焦点である。今のところ、公序良俗に反しない、意味との関連、正当な理由―といった点が目安になりそうだ。それでいくと「光宙(ぴかちゅう)」や「大空(すかい)」は認められる公算が大きいという
▼実は荒野(あれの)さんも筆名でなく本名。父親が張り切って命名したのだとか。その結果、「何をがんばるより先に名前と張り合ってがんばらねば」ならなかったらしい。さもありなん。キラキラもほどほどがよろしかろう。