子どもの純粋な心に触れると、胸を揺さぶられる気持ちがする。読売新聞の人気コーナー〈こどもの詩〉精選集『ことばのしっぽ』で、岡田彩華ちゃん(小1・当時)の詩を読んだときもそうだった
▼短いので全文を引く。「がっこうのしんぞうのけんさでひっかかっちゃった。にどめ、またひっかかった。さんどめ、びょうきがみつかった ままがなみだをながしていた まま、よわく、うまれてきて ごめんね」。タイトルは「からだがよわくてごめんね」である。彩華ちゃんが謝る必要などどこにもない。それでも彩華ちゃんは、ママを悲しませてしまったのは自分の責任だと感じているのだ。まだ小1なのに。子どもは純粋なため、親ら周りの大人が悲しんだり怒ったりすると自分が悪いからだと思い込んでしまう
▼死に至る虐待を受けてさえそうなのだ。福岡県篠栗町で2020年4月、育児放棄され餓死した5歳の碇翔士郎ちゃんも亡くなる当日、母親に掛けた言葉が「ママ、ごめんね」だったという。保護責任者遺棄致死罪に問われた母利恵被告の裁判の主要な審理が10日までに終わり、むごい虐待の実態が明らかになった。利恵被告は同罪で起訴された知人の赤堀恵美子被告に心を支配され、生活費も搾取されていたそうだ
▼赤堀被告はうそと脅しで利恵被告の意志を奪い、子どもの食事まで細かく指示して翔士郎ちゃんを餓死に追いやった。疑いを知らぬ子どもの目には、自分が悪い子だから罰を受けていると見えていたろう。だが違った。「ごめんね」を言わねばならない人は他にいたのだ。