明治維新の立役者を数多く輩出した松下村塾の塾長吉田松陰は若いころ、全国を遊歴して見聞を広めたという。21歳から始め、歩いた距離は5年間で1万3000㌔。ほぼ日本を一周したことになる
▼欧米列強が次々と日本に押し寄せ、強い危機感を覚えたからだった。松蔭は沿岸の防備状況をつぶさに調べ、各地の思想家らに最新の情勢を学んだ。正しい判断をするには自分で見ることが大切と考えていたのである。安倍元首相が首相在任中に力を入れていた「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」も、それに通じるものがある。安倍さんは地元山口県の偉人松蔭を敬愛していた。感じるものがあったのかもしれない。訪問国・地域は延べ176、飛行距離は158万㌔を超えたという
▼成果はどうだったか。各国の反応を見ると明らかだろう。弔意を示すメッセージが12日までに、259の国・地域から1700件以上寄せられたそうだ。その内訳も各国政府の要人をはじめ、学者や企業家、宗教指導者と幅広い。その大物たちがツイッターでも心情を吐露していた。多くの方が仕事への賛辞に加え、「友人」を失った悲しみに言及していたのが印象的だった。いかに一人の人間として愛されていたかが分かる
▼安倍さんの座右の銘は、やはり松蔭から学んだ孟子の「至誠にして動かざる者未だ之有らざるなり」。誠意を尽くして人に接し、仕事に当たれば思いは必ずかなうという信念だ。葬列を見送る大勢の人々、途切れぬ献花、身内を亡くしたように悲しむ多くの人の姿が至誠に生きた人生を証明している。