人間や社会の奥底に流れるものを探り続けた小説家の司馬遼太郎さんは、人々が喜々として行使する「正義」にも疑いの目を向けていた。歴史上の人物や過去の出来事を考察した随想録『ある運命について』(中央公論新社)の一節「奇妙さ」で新選組副長土方歳三を引き合いに出し、こう記している
▼「正義という電球が脳の中に輝いてしまった人間は、極端に殉教者になるか、極端に加害者にならざるをえない」。自分の考えが唯一絶対に正しいと思い込み、別の考えを間違いと決めつけ徹底的に攻撃する。そこに見られるのは容赦のない暴力と破壊。司馬さんはそれを「剣と血のにおいのする自己貫徹型精神」と呼んだ。善や善人とは相いれない性質の代物だというのである
▼旧統一教会に〝関係した〟とされる自民党政治家へのマスコミの糾弾も、そんな正義の暴走に見えて仕方がない。マスコミの望む正義にそぐわない政治家は全て間違いに決まっているから、われわれが鉄槌を下してやるというわけだ。いわゆる「霊感商法」で多くの信者の人生を狂わせ、その家族を破滅させた旧統一教会は非難されて当然だろう。ただ、似たような活動をしていた団体は宗教に限らず他にもたくさんある。当のマスコミもそれらと〝関係した〟例はあろう
▼まあ、政権与党をたたくのが唯一絶対の正義と信じるマスコミには、倒幕派を前にした土方同様、斬るべき相手しか見えなくなっているのだろう。被害者の本当の救済など眼中にない。なあなあでやってきた自民党とマスコミとのいつもの不毛な攻防である。