本人は大真面目に取り組んでいるのだが、はたから見ると見当違いも甚だしいという場合がある。トルコ民話「ナスルディンの鍵」は、そんな男たちのやり取りをユーモラスに伝える
▼ナスルディンが家の前の路上で何かを探している。通りかかった友人が尋ねると、鍵をなくしたとのこと。はいつくばって一緒に探すが一向に見つからない。友人が「どの辺でなくしたの?」と聞くと、ナスルディンは「家の中さ」。友人があきれて問うと、「だってここの方が明るくて探しやすい」。誰が聞いても、うかつさに笑える話だろう。とはいえ現実にも、気づかぬまま似たような落とし穴にはまっている例は少なくない
▼近年よく聞くSDGs(持続可能な開発目標)もその一つ。安全安心な生活を掲げた取り組みはまだ分かる。ただ、環境保護や脱炭素にばかりこだわったものや新たなもうけ口としてしか見ていない事例も目立つ。国や道の施策も単に流行に乗っただけで、中身がないように見えるのは気のせいか。SDGsの理念はとても大切なものだ。であればこそ、ここらであえて基本に立ち戻った方がいいのでないか。目指すべき目標の1番は「貧困をなくそう」、2番が「飢餓をゼロに」、3番が「すべての人に健康と福祉を」である。ちなみに17の目標のうち、気候変動対策は13番目
▼できるところから手を付けているんだとの意見もあるが、主要7カ国(G7)で2番目に高い「相対的貧困」を抱える日本で、なぜ13番目の目標ばかりが取り沙汰されるのか。「だってその方が見栄えがいいから」。