石垣りんの詩が好きでたまに詩集を広げるのだが、そこに出ていない詩を別の作家の本に見つけて思わず目が止まった。作家の北村薫さんが『詩歌の待ち伏せ』(ちくま文庫)で紹介していたのである。りんさんの講演会で直接聞き、深く心に残ったそうだ。題名を「悲しみ」という
▼りんさんは65歳の時、転んで手首を骨折した。治っても元通りにならないと言われたらしい。そこで感じたことを詩にしたのだった。後段の一節を引く。「腕をさすって泣きました。お父さんお母さんごめんなさい。二人とも、とっくに死んでいませんが 二人にもらった身体です。今も私は子供です」。親子の絆の下では、いくら歳を取っても自分は子ども。骨折で身体に意識が向き、そのことがより切実に感じられたのだろう
▼1977年、13歳の時に北朝鮮によって拉致された横田めぐみさんも、今はもう57歳。折に触れ自らの身体を眺めては、両親を思い出しているのでないか。なぜ自分は北朝鮮にいるのかと考えながら。北朝鮮が日本人拉致を認め、両国が国交正常化を目指すことで合意した日朝平壌宣言から20年が過ぎた。雪解けも近いと国民が希望を抱いたのもつかの間、期待はすぐに失望へと変わった。かの国は核開発、弾道ミサイル発射と、国際社会に背を向ける道を選んだのだ
▼多くの拉致被害者は北朝鮮に捕らわれたまま、解決の糸口さえ見えない。めぐみさんら被害者は、理不尽につかまれた腕をさすりながら「今も私は子供です」と心で泣いていよう。打つ手を見つけられないことが悔しく、悲しい。