友がいない人生は荒野と一緒と言ったのは誰だったか。一生の友がいるのは実際、幸せなことである。ただ、それはなかなか難しい。途中で見方や考え方が変わり、知らぬ間に距離ができていたりするものだ
▼小説家安岡章太郎もエッセー『良友・悪友』(新潮社)に、こう記していた。「われわれの交友は結局、年月によって磨きをかけられ、その間に摩耗すべきものは摩耗し、抜け落ちるべきものは落ちて行く」。お互い年月を重ねる中で関係の切れる状況が生じたとしても、必ずしも悲しむべきことではないというのである。とはいえ、かつて仲の良かった友が、別人のように変わっていくさまを見ているのはつらい。日本人の中国を見る目には、それと似たところがあろう
▼日本と中国は先月29日、1972年の国交正常化から50年の節目を迎えた。田中角栄首相と中国の周恩来首相ががっちりと握手をし、両国民の間で友好ムードが高まったかつての雰囲気は今どこにもない。抜け落ちてしまったようだ。中国は経済力を飛躍的に強め、それを後ろ盾に軍事力も高めてきた。目指したのが国の発展と国民の幸福だけなら、評価はここまで変わらなかったろう。ところが、しているのは南シナ海の軍事要塞化や台湾への脅し、日本のEEZ内へのミサイル打ち込みである。眠れる獅子は覇権主義の怪物に姿を変えた
▼岸田首相と習近平国家主席は50年の節目に当たり、両国の関係は重要とのメッセージを交換したそうだ。握手どころか会って話すまでもない、というところまで両国の距離は広がっている。