紀元前5世紀頃の古代ギリシャでは、幾つかの有力なポリス(都市国家)が勢力拡大にしのぎを削っていた。最も知られているのは支配権を強めるアテネに脅威を覚えたスパルタなどが同盟を組み、長く大規模な戦いを繰り広げたペロポネソス戦争だろう
▼戦いは絶えることなく、いつまでも続いた。ただ、休戦がなかったわけではない。ご存じと思うが、4年に一度のオリンピア競技中だけは戦いをやめたのである。「聖なる休戦」と呼んだそうだ。これが1896年に始まった近代オリンピックの基本理念「平和の祭典」につながる。戦争や政争を排し、世界中の人びとが等しくスポーツを楽しみ広めることで平和を実現しようとしたのである
▼近年はその理念もいささかかすみがち。昨年は東京五輪に絡み、大会組織委員会の元理事が複数のスポンサー企業から賄賂を受け取っていた疑いが浮上し、大きな汚職事件に発展した。争い事ではないにせよ、純粋にスポーツを楽しむ五輪の精神とはかけ離れている。札幌市が2030年招致を目指す冬季五輪も、この汚職で逆風にさらされている。一般の心配とは別に、政権批判に東京五輪を利用していた勢力が札幌に戦場を移した側面もあるようだ。「江戸の敵を長崎で討つ」の類いである
▼五輪はどこの国でもできるわけではない。スポーツの祭典を担うのは責任ある役目であると同時に平和への貢献そのもの。それだけに五輪を政争の具に利用しようとする昨今の動きには違和感を覚える。政争は休戦とし、五輪を巡る戦いはスポーツだけにしてはどうか。