輸送機器メーカー大手の本田技研工業は1961年の3月に、1週間ばかり生産を休止した。無理をしてでも作れば売れる景気の良い時期だったが、市場全体の動向を見て、一人勝ちは好ましくないと判断。生産調整を決めたという
▼「ここで大切なことは、坂を登っていてもいつ下り坂の準備をするか、その見きわめである」。創業者の本田宗一郎氏が、著書『俺の考え』(新潮文庫)で当時をそう振り返っていた。何事も進むのは易しいが引くのは難しい。大きな実績を上げてきた事業ならなおさらである。引けば利益を失うのは明らか。ただしすぐ先が奈落なら、落ちれば利益どころか膨大な損失を負う。答えは誰にも分からないのだ。実に悩ましい
▼さて、岸田首相は引き際を見極める確かな目を持っているだろうか。20日、新型コロナウイルスの感染症法の位置付けを、現在の「2類相当」から「5類」に引き下げる方針を表明し、加藤勝信厚生労働相らに検討を指示した。今春をめどに踏み切るようだ。感染者はいまだ多く、コロナに対応している医療部門の負担も重い。一方で社会全体としてはコロナ前の日常を取り戻しつつある。現状と法の運用にちぐはぐさを感じている人は多いに違いない
▼5類になると医療費の公費負担が見直され、一般の医療機関でも患者を受け入れられるようになる。行動制限もない。つまり「政府は手を引く。今後は自己責任でやってくれ」というわけだ。本田氏の生産調整は後にHONDAの信用を高めた。岸田首相の5類への引き下げが招くのは信用か、幻滅か。