どんなに難しい手術も神業と呼ぶべき技術で成功させる天才外科医といえば、誰もが「ブラック・ジャック」を思い浮かべよう。もちろん実在の人物ではない。手塚治虫が生み出した医療漫画の主人公である。人の愚かさや命の尊さをドラマチックに描いた物語だった
▼とんでもなく高額の手術費を要求し、金を出すならどんな悪人の治療も引き受ける。しかも医師免許は持たず、他人の指示にも一切従わないときた。そんなブラック・ジャックも野外で緊急手術をする場合はありあわせの装備で間に合わせるが、手術室では白衣に帽子、マスクでしっかりと身を整える。やはりプロ。術後感染には細心の注意を払っていた。いつもは大胆不敵でもTPOはわきまえていたのである
▼一人一人がそんなめりはりを付ける状況に移行するということだろう。政府が先頃、新型コロナウイルス感染症の「基本的対処方針」を改定。来月13日からマスク着用ルールを大幅に緩めることにした。以前の日常にまた一歩近づく。新たな方針は屋内か屋外かにかかわらず、「個人の主体的な選択を尊重し、着用は個人の判断に委ねる」が基本となる。和をもって貴しとなす日本人は個の判断を苦手とするところがあるが、社会を元に戻すためには越えねばならない峠である
▼普段は外して生活し、感染が重大な結果を招く病院や高齢者施設では着用を忘れない。時と場合を見定めて判断する力が求められるわけだ。とはいえ混乱もかなりあるに違いない。手塚治虫なら「ブラック・ジャック」で今の世の中をどう描いたろうか。