かつて中国のある指導者は「黒い猫でも白い猫でもネズミを捕るのが良い猫だ」と言ったそうだが、日本でも最近、それを思い出させる言説が相次いだ。先月末に西山太吉元毎日新聞記者の訃報が伝えられてからのことである
▼西山氏は沖縄返還に絡む日米の「密約」を暴こうと、外務省の女性事務官を利用して資料を持ち出させた人物。2人は裁判にかけられ、女性は一審で有罪、西山氏も最高裁で有罪が確定した。最高裁の判決には「初めて誘って一夕の酒食を共にしたうえ、かなり強引に肉体関係をもち」、持ち出しをそそのかしたとある。西山氏は入手した資料を社会党の議員に渡し、国会で政府を追及させることまでしていた。報道倫理はどこへやら
▼ところが訃報が出ると多くのメディアやジャーナリストが、密約を暴いた孤高の記者だと西山氏を持ち上げたのである。朝日新聞の現役記者などはツイッターに「目的が手段を浄化する」と投稿した。政府に楯突くのが良いジャーリストというのだろう。大きな勘違いをしていると思わざるをえない。当時、やはり朝日新聞だが、名執筆者深代惇郎氏は『天声人語』で西山氏の姿勢に強く疑問を呈した。取材が報道目的だけで使われなかったことに加え、ニュースソースを明かした点や、取材に男女関係を利用した事実がモラルに反するというのである。深代氏は女性に深い哀れみの念を示してもいた
▼「西山事件」は1972年。あれから50年が過ぎ、教訓が風化しているとすれば問題だ。報道至上主義の思い上がりから信頼が生まれるはずもない。