江戸後期の経世家二宮尊徳は当時の世の風習を、人道でなく修羅道だと嘆いていた。敵討ちに関する話題が出たときである
▼弟子の福住正兄が『二宮翁夜話』(PHP)にこう書き留めていた。「両国橋のあたりで敵討ちがあった。『勇士だ』『孝子だ』と人々は誉めそやした。しかし、先生はおっしゃった。復讐を尊ぶのは、まだ道理をよくわきまえていない者だ」。恨みの肯定は新たな恨みを生むというのである。岸田文雄首相が15日、テロの標的となった。衆院和歌山1区補欠選挙の応援に訪れていた雑賀崎漁港で起きた事件である。聴衆に紛れて機をうかがっていた木村隆二容疑者(24)が首相にパイプ爆弾のような物体を投げつけ、近くにいた漁師やSPに取り押さえられたのだ
▼爆弾は1分ほど後に爆発。首相は既に避難していて無事だったものの、聴衆の中にはけがをした人もいたという。木村容疑者は複数の爆弾を所持していた事実が分かっている。一つ間違えば大惨事になっていたかもしれない。安倍元首相が銃撃され、死亡した去年7月の事件とよく似ている。影響を受けたのでないか。そのときは安倍政権を批判していた野党や一部マスコミ、識者などから山上徹也被告を擁護するかのごとき言説が次々と飛び出した。勇士として扱う者までいる始末
▼「安倍氏が自ら招いたこと」「社会にも問題がある」というわけである。ばかな話だ。わずかでもテロに価値を与えたり、言い訳を許したりしてはいけない。木村容疑者のような人物の背中を押し、世の風習を修羅道に落とすだけだろう。