本道出身の歌人山田航さんに、思わずハッと気づかされるこんな短歌があった。「監獄と思ひをりしがシェルターであったわが生のひと日ひと日は」
▼外の世界との関わりを制限され、自由がないと思い込んでいたが、振り返ってよく考えると実は守られていた。そういうことでないか。特に若い頃は何かというと親に押さえつけられている気がするものである。親は子を危険から遠ざけようとしているだけなのだが。新型コロナウイルスの感染症法上の分類がきのう、「2類相当」から季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げられた。自由社会に生きるわれわれにとって、行動制限を伴う2類相当は監獄とはいわないまでもかなり窮屈だった。ただ、それも人々を守るシェルターだったのである
▼今後、医療費やウイルス検査は自己負担。感染予防や療養の仕方は原則、個人の判断に委ねられる。手厚く保護してくれるシェルターがなくなるとなれば、降りかかる火の粉を自分の手で払う意識も高まろう。感染症の大規模流行は過去にもあったが、グローバル化が世界を覆った中でのパンデミックは人類初の経験だった。対策の常識が通じない。このコロナ禍は暗闇の中を手探りで歩いていたようなものだ
▼済んだことを嘆いてばかりもいられない。米国のコロナとの戦いを描いた『最悪の予感』(早川書房)にあったある研究者の言葉を思いだす。「今回、わたしたちは対応のまずさが身に染みた。しかし、おかげで、次に向けて備え始めることができる」。5類移行も終わりでなく、始まりだろう。