子どものころから人の悪口を言ってはいけないと教えられて育ってきたはずなのに、なかなかやめられないのが悪口というものでないか。自分の気に入らない人をあしざまにののしると、一時的にすっきりした気持ちになるのは誰もが経験してきていることだろう
▼つまりある種の娯楽、ストレス解消法といった側面もないではない。仏文学者の河盛好蔵さんも名著『人とつき合う法』(新潮文庫)にこう記していた。「碁や将棋のできない人間はあっても、悪口の言えない人間は世のなかには存在しないから、われわれは、いつ、いかなるところでも、またどんな人間を相手にしても、この楽しみにふけることができる」。街頭での選挙演説中、登壇者へやじを飛ばす人がしばしば現れるのもきっと同じ理屈だろう
▼最近再び話題の2019年夏の参院選での安倍晋三首相(当時)へのやじもそうである。札幌市内で応援演説をしている際、男女が「安倍やめろ」などとやじを飛ばし、警察に排除されたのだった。公の場で面識もない目上の人を「安倍」と呼び捨てにし、「やめろ」と命令口調で叫ぶのは人として礼を欠いている上に、演説を聴く支持者を侮辱することにもなろう。トラブルを招きかねない
▼男女は排除が違法として提訴。1審では共に主張が認められたものの、22日の控訴審では女性に1審維持、男性に請求棄却の判決が出た。警察側の主張が認められたわけだ。首相に向かって悪口を叫ぶのは愉快だろう。ただ、日頃のうっぷんを晴らしたいと、所構わずやじを飛ばすのはやめた方がいい。