手を掛けてブドウを栽培するところから始まるワイン造りは繊細で難しい仕事といわれる。自然が相手なだけに一筋縄ではいかない。経験のない土地で新たに事業を起こすのが無謀とされるゆえんである
▼今では「奇跡のワイン」と呼ぶ人がいる奥尻ワインも、当初は成功が疑問視されていた。筆者は2002年から函館で勤務していたが、地元でも応援はしても、うまくいくと考える人は少なかったと記憶している。「奥尻ワイナリー」の母体、海老原建設(奥尻)がワイン専用種の苗木定植を広げたころの話である。もとはといえば1993年の北海道南西沖地震から復興するため、新しい産業を育てて雇用を維持し、島の発展につなげようと未知の領域に乗り出したのだった
▼多くの犠牲者を出したあの地震から、きょうで30年である。猛火に包まれた青苗地区の映像を見た衝撃は忘れられない。当時人口4700人あまりの島で、津波や火災などに巻き込まれ172人が死亡、26人が行方不明になったのだ。2011年3月の東日本大震災より前に、津波の恐ろしさを人々に強く印象づけた地震災害だった。漁船や冷凍冷蔵施設、加工場といった水産施設の被害も深刻で、島の産業基盤は壊滅の危機に陥った。島の方々の悲しみと苦労は並大抵ではなかったはずである
▼盲ろうの偉人ヘレン・ケラーは生前、「世の中にはつらいことがたくさんありますが、それに打ち勝つことでもあふれています」と語っていたそうだ。奥尻町の復興も、その生きた実例だろう。奥尻ワインの快挙が静かに物語っている。