8月はテレビや新聞で台風災害と太平洋戦争の話題が増える時期である。ことしは新型コロナウイルスが再流行の兆しを見せているため、どちらも例年に比べ扱いは小さいようだ。ただ、だからといって関心をなくしていいわけもない
▼広島に原爆が落とされてからきょうで75年である。ずいぶん前の歴史のようだが、つい先日も放射性物質混じりの「黒い雨」を浴びた人の援護区域を拡大する司法判断が出たばかり。いまだに最新の問題ということである。とはいえ戦争体験者は減る一方だ。多くの日本人にとって戦争や原爆が単なる知識になっているのもまた事実だろう。防衛力を全否定したり、逆に戦争を美化したりと、昨今よく見られる極端な主張がそれを物語っている
▼石垣りんさんの詩「挨拶―原爆の写真によせて」を思い出す。こう締めくくられていた。「一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人の人すべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた」。戦後75年たち、油断が再び顔をのぞかせているのでないか。当時とは別種の油断である。この時期、マスコミの主導で世間は戦争の悲惨さに注目するが、戦争を避けるための抑止力にはほとんど目を向けない
▼世界から独裁も覇権主義もなくなってはいないのだが。台風災害への備えに避難と治水整備があるように、戦争を防ぐにも経済交流を含む外交と他国の攻撃を許さない確かな防衛力が必要だ。わが国を取り巻く国際情勢は時々刻々変わっている。戦争も常に最新の問題として捉え直したい。