普段は気にもしていないのに、人生で壁に突き当たり、難しい選択を迫られると急に意識されてくるのが心というものだろう。ところがこの心、自分のものなのによく分からない。「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」とハムレットが言った通り、両極の間を激しく揺れ動き、つかみどころがないのである
▼実はそれも当たり前で、臨床心理士の東畑開人さんによると、「誰にでも心が複数ある」からだという。例えば孤立したとき、心は周りを敵として拒絶する。ただ、助けを求める心もどこかにある。こちらが本音だが心の声はかすかで、拒絶の叫びにかき消されてしまう。そのかすかな声に応えるのが心理士の仕事だというのである。『聞く技術 聞いてもらう技術』(ちくま新書)に教えられた
▼自殺の手伝いを人助けとうそぶく者の誤りもそこにあろう。先月、札幌市内の自宅アパートで大学生の女性(22)を殺害したとして逮捕された小野勇容疑者(53)もそんな誤った考えを持つ一人でないか。報道によると小野容疑者は、女性に「殺してほしい」と頼まれたから殺害したと供述しているそうだ。依頼がもし事実でも、それを聞いた者の取るべき行動が自殺の手伝いでよいはずがない
▼何らかの苦しみから逃れたかった女性は、解決策としての死にとらわれていた。望みは苦しみから逃れることで、本当に必要なのは助けを求めるかすかな声をそっと拾い上げ、苦しみから抜け出すのに手を貸してくれる人だった。自己満足のために、自殺したい人をSNSで捜し回るような卑劣な男でなく。