国道12号美唄市光珠内から滝川市国道38号交点までの29・2㌔は、日本一長い直線道路としてよく知られている。着工は1886年だが、当時の工事復命書には「後で手直しが出ないよう、なるべく直線にすること」との趣旨の指示が書かれていたそうだ
▼この区間に限らず本道には直線の道路が多い。開拓地ならではだろう。2地点間を最短で結べる条件がそろっていた。直線道路はいわば開拓の記念碑というわけ。幕末、明治に活躍した探検家松浦武四郎は、本道をくまなく踏査した上で「東西蝦夷山川地理取調図」を完成させた。縦2・4m、横3・6mにもなる大地図である
▼月尾嘉男東大名誉教授は道立文書館で初めてこの詳細な図を目にしたとき、あることに気付き驚嘆したそうだ。「この地図には一本の直線もなく、すべてが曲線で構成されている」(『未来フロンティア紀行 北海道二十一世紀』06年)。そこにあったのはアイヌ民族の生活も含む手つかずの北海道。今はなき昔が見えたのだろう。月尾教授は地図を眺めて考えたという。直線道路に象徴される開発の歴史は否定しないが、方向転換は必要だ、と。その「ひとつの方法」に挙げたのが「取調図」を転換の起点に置くことだった
▼18年実施の「北海道150年記念事業」のキーパーソンに武四郎が選ばれたのも、「ひとつの方法」と軌を一にするものといえようか。高橋はるみ知事は今週初め、武四郎の生地三重県松阪市を訪れ、竹上真人市長と事業展開で連携を約束したそうだ。原点に戻ることは、時に未来への近道になる。