イラン出身で大学教授も務めたアーザル・ナフィーシーの著書『テヘランでロリータを読む』に、こんな一文があるそうだ。「読者よ、どうか私たちの姿を想像していただきたい。そうでなければ、私たちは本当には存在しない」
▼暴力的な政治に脅かされながらも希望を求め、見つかれば死罪の西洋文学に親しんだ著者の体験を記したものという。直木賞作家西加奈子の新作「i アイ」(ポプラ社)に教えられた。西さんの作品の主人公は、夫が米国人、妻が日本人の夫婦に養子として育てられたシリア人の女性。愛情深い家庭だったが、その複雑な背景から自分の存在にどうしても自信が持てない。彼女はアーザルさんの著書と出会い、自分が想像することで苦しんでいる誰かの支えになれることを発見するのである
▼アーザルさんが伝えたかったのは、まずつらい状況に立たされている人々が現に存在すると知り、その確かな姿を想像してみること。問題に気付かねば苦しむ人々も居て居ないようなものだ。ことしも3・11が巡ってきた。6年目である。どれだけの人が今も、東日本大震災が発生した当時と同じ熱量で被災地の人々のことを想像できているだろうか。正直言って当方は心もとない
▼高く頑丈な防潮堤が築かれ、高台移転も進んでいる。交通インフラはほぼ元通りと聞く。ただ生活の再建は難航し、行方不明者の捜索や身元不明遺体の確認も暗礁に乗り上げたままだ。被災地の問題は常に新しい。われわれはもっと想像をたくましくする必要がある。忘れることからは何も生まれない。