米国の小説家アーネスト・ヘミングウェイに短編「挫けぬ男」があるのをご存じだろうか。かつて闘牛士として一時代を築いたマヌエルが返り咲きを夢見、興行師の戸を叩く話である。ただ、既に老い、けがで片足を失っていた。しかも病院から出てきたばかりという
▼復帰は無理と見た興行師が「どうしてまともな仕事を見つけて働きに出ないんだ」と尋ねると、マヌエルはこう答える。「あっしは闘牛士なんだ」。やりがいもなく命をつないでいるだけなら、本当に生きているとはいえないとの意志表明だろう。仕事でも趣味でも、自分のしたいことができてこその幸福。「クオリティー・オブ・ライフ(人生の質)」が近年重視されるゆえんである
▼病状が進んだ高齢のがん患者に積極的な治療をしない病院の割合が高まっているそうだ。国立がん研究センターがきのう発表したデータで分かったことである。手術や薬の副作用で苦しませるより、人生の質を高めるよう治療のあり方が見直されているらしい。ホスピス医小野寺時夫氏は著書「人は死ぬとき何を後悔するのか」(宝島社新書)で嘆いていた。余命少ない貴重な時期を効果のない治療に費やし、ずたずたになってからホスピスに来てすぐ亡くなってしまう患者が多いのだとか
▼先の小説でマヌエルは勝負の機会を与えられ、闘牛場で果敢に戦った。あえなく牛に瀕死(ひんし)の重傷を負わされたものの、絶え絶えの息の中、誇らしげに言うのである。「すばらしい成功をおさめるところだった」。最後までかく自分らしくありたいものだ。