将来の発展のためあえて今の試練に耐える「米百俵」の逸話をご存じだろう。北越戦争に敗れ窮乏にあえぐ長岡藩に三根山藩から支援米百俵が届く。空腹を満たせると喜ぶ藩士たちだったが、大参事小林虎三郎はその米を全て売り払い学校設立資金に充てる
▼小林は皆をこう諭したという。「この百俵は今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか百万俵になるかはかりしれない」(戯曲『米百俵』山本有三)。その場しのぎの解決策に飛びついて良しとするのでなく、先の先まで見通して人を育てる選択をした小林の慧眼(けいがん)だった。こうして明治3(1870)年に建てられた国漢学校が長岡の近代教育の基礎を築いたとされる
▼がん治療に免疫療法の新たな道を開き、ことしのノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑京都大特別教授の談話を聞きそのことを思い出した。NHKの番組でこう語っていたのである。「基礎研究は地味だが、役に立つ結果が出れば何百万人という人に恩恵がある」。本庶教授が発見した「PD―1」分子を基に開発されたがん治療薬「オプジーボ」(小野薬品工業など)は実際今、病に悩む多くの患者の命を支えている。伝染病の撲滅もそうだが、科学的発見は後の世を大きく変える力を持つ
▼それにしても、である。本庶教授は歴代ノーベル賞受賞者と同じく、基礎研究に予算が投じられないことへの危機感も吐露していた。文部科学省は天下りには熱心だが基礎研究には冷たい。文科省の幹部は自らの米を、基礎研究にいそしむ研究者たちに回してはどうか。