問題を先送りしたいときに人がよく使う手は逃げることだろう。「三十六計逃げるに如かず」である。牧野信一の私小説「凩日記」にも走って逃げようとする友人を追う場面があった
▼ようやく捕まえ、「僕」が問い詰める。「君は何処までも雲や霞の中へと逃げ終せる覚悟だったか?」。友人は答えた。「問わるゝまでもない。―然し公園に達してからの君の追跡は宙を飛んで風に乗り、あはやの間に捕縛された」。実はこの友人、預かった青銅像を質屋に入れてしまい、会わせる顔がなかったのだ。こちらの男も何か不都合があったに違いない。刑務所収容のため訪れた横浜地検の事務官らを包丁で脅して逃げ、5日間姿をくらませた揚げ句、23日に逮捕された小林誠容疑者のことである
▼髪型を変え、捜査をかく乱し、複数の知人の助けを借りてどこまでも逃げるつもりだったらしい。自宅に覚醒剤用の注射器もあったといい、それが逃げた理由との見方もある。雲やかすみの中に消えずひとまずは良かった。小林容疑者は保釈後に実刑判決が確定し、収容されるところだったという。驚くのは包丁を持っていたとはいえ地検の事務官が5人、警察官も2人いてみすみす逃走を許してしまったことである。しかも逃げてから地検が公表するまで3時間、県警が緊急配備を敷くまで4時間半以上の時間が掛かっている
▼たるんでいるというか、危機意識に欠けるというか。「逃がした魚は大きい」というが地検にとっては「逃がした代償は大きい」というべきだろう。もちろん逃げた容疑者の代償も大きいが。