▼現代短歌の旗手、穂村弘さんに夕暮れ時を歌ったこんな作品がある。「校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中が夕焼け」。暮れ始めた校庭でふと目を上に向けると、空全体に燃えるような夕焼けが広がっていたのかもしれない。そんな美しい光景に思わず息をのむことは、誰にでもあるのでないか。ところがこの夕暮れ時、いわゆる薄暮時は車を運転する者にとって「魔の時間帯」ともいわれている。
▼徐々に暗くなっていくため視力と認識に差ができるらしい。はっきり見えるほど明るくはないのに、運転者はまだ見えるから大丈夫だと思っているのである。ヘッドライトがついていないことも多いため、歩行者も車に気付きにくい。筆者も運転していて、横断しようとする歩行者にヒヤリとしたことがある。透明人間が突然目の前で姿を現したように、「おいおい、一体どこから出てきた」となった。もちろん透明人間がいるわけもない。魔の時が視覚に影響を与えていたのだろう。
▼きょうは秋分の日である。「はなれゆく人をつつめり秋の暮」(山上樹実雄)。昼が夜に変わるまでの時間はますます短く、いま歩いていた人の姿もすぐに見えなくなる。交通事故の危険性が高まる時期だ。注意を促そうと、きのう、秋の全国交通安全運動が始まった。「透明人間」になりがちな子どもと老人の事故防止が重点だそう。歩行者らが危険を察知しやすいよう、運転者には早め点灯と適切なハイビーム使用を求めている。光で「魔」をはらおうというわけだ。励行したい。