コラム「透視図」 - 北海道建設新聞社 - e-kensin - Page 149

テレワーク

2020年04月21日 09時00分

 日本のインターネット元年は1995年といわれる。公式認定される類いの年ではないが、広く普及し始めたのがそのころだったことは衆目の一致するところだろう

 ▼新しい時代を開くきっかけを作ったのはマイクロソフト社のオペレーティングシステム「Windows95」の発売である。ここからパソコンの世界に足を踏み入れた人も多いのでないか。アイコンの操作性が格段に向上し、高かった敷居が下がった。実はもう一つ、インターネットが社会に広く知られるのに決定的な役割を果たした出来事がある。阪神淡路大震災だ。被災者やボランティアはインターネットを駆使して情報を収集し、状況をリアルタイムで世界に発信した。未曾有の大災害が普及の素地になったのである

 ▼危機が社会に変化を促す例は多い。今回の新型コロナウイルス騒動でもやはり事情は同じ。あれだけ政府がハッパを掛けても反応がなかった企業の働き方改革に動きが出た。自宅で業務をこなすテレワークが増えたのである。一つの空間に人が集まる事務所環境も、通勤電車など交通機関も避けるべき密集、密接、密閉の温床だ。企業は準備する間もあらばこそ、否応なくテレワークに踏み切らざるを得なかった。会議もWeb上で開くところが増えたという

 ▼始めてみるとこれが案外快適で、もう元には戻りたくないとの声も少なからずあるのだとか。インターネット元年から25年、働き方改革のためのインフラは十分整っていたわけである。新型コロナも少しは役に立った。そうとでも思わなければやっていられない。


桜前線

2020年04月20日 09時00分

 例年この時季にはテレビで連日流されている桜前線北上のニュースをことしはほとんど見掛けない。不要不急だから、と桜も北へ向かうのをやめたのだろうか。もちろんそんなはずはない。人間の都合で伝えられていないだけである

 ▼どこそこの名所で今満開と聞けば、桜好きな日本人としてはつい足を向けてしまうのが人情というもの。花見客が大勢集まってしまうと新型コロナウイルスの感染拡大は避けられない。全く難儀な春というほかない。北海道も本当なら今週末あたりから、道南を皮切りに皆で花見を楽しむ頃合いになるはずだったのに。函館の五稜郭公園も札幌の円山公園も、既に飲食を伴う宴会は自粛するよう要請が出されている

 ▼眺めるなら周りを気にしながら立ち止まらず、とならざるを得ない。「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」在原業平。愛するあまり桜が頭から離れないというわけだが、ことしは気軽に見られないだけに似たような気持ちの人も多いのでないか。とはいえ新型コロナの流行はいつか終わるし、桜は間違いなく来年も咲く。そう気を取り直すと、現代にも今聞くのにぴったりの歌があるのを思い出した。シンガーソングライター森山直太朗さんの『さくら』(森山直太朗・御徒町凧作詞作曲)である

 ▼歌い出しはこうだった。「僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ」。満開の桜の下で気兼ねなく笑い合える日常を取り戻すために、次の大型連休もできるだけ家でおとなしくしているとしよう。


冗長性

2020年04月17日 09時00分

 先月22日に根室管内初の高規格幹線道路となる44号根室道路が開通した。地元の悲願だっただけに関係者の喜びもひとしおだろう。温根沼と根室両IC間7・1㌔は地吹雪常襲地帯だっただけに、代替道路ができた意義は大きい

 ▼30年程前、釧路支社にいたころ筆者も週に何度か根室市に通っていた。半島の付け根に位置する温根沼付近を走りながら、「ここが寸断されるとほぼ陸の孤島だ」とよく考えたものである。その心配が今回、生命線が増えたことで解消された。冗長性(リダンダンシー)を確保したわけだ。冗長性とは必要最低限に加え余分や重複もある状態のこと。端的に言えば「あちらがだめでもこちらがあるさ」だろう

 ▼日本の新型コロナウイルス対応でも医療分野の冗長性が期せずして功を奏した部分があるようだ。日本は他国に比べ病院や病床、CTの数が格段に多い。OECDのデータ(2017年)によると病院数は8400施設、病床数は165万床でどちらも2位の米国の2倍である。新型肺炎の早期診断に活躍したCTも100万人当たり111台と飛び抜けて多い。いずれも過剰だと批判されていたが、こうなってみるとそれが役に立ったわけである。現にまだ危機は続いているものの、日本の死者数は15日現在で119人と世界の中ではかなり低い

 ▼低成長のここ20年ほど、どの分野でも例外なく無駄の排除と緊縮がもてはやされてきた。強みまでむざむざ捨てることはないのだ。大事な冗長性を犠牲にしてこなかったか、これを機に今一度考えてみる必要があるのでないか。


年少人口が過去最少に

2020年04月16日 09時00分

 原っぱと聞くと遠い昔に大勢の友だちと楽しく駆け回った日々を思い出す人が多いだろう。歴史学者立川昭二氏も随筆『こころの「日本」』(文藝春秋)に、「原っぱは、なにより子どもたちの解放区であった」と記していた

 ▼放課後や日曜日などは特に約束していたわけでもないのに、近所の仲間たちが皆自然と原っぱに集まってくる。鬼ごっこをしたり草野球に興じたり。大人も余りうるさいことを言わなかった。小説家の北杜夫は『楡家の人びと』(新潮社)で原っぱをこう描写していた。「訪れる人の数によって、急に生気を帯びにぎにぎしくさざめいて見せたり、突然がらんと人気もなくなっていやにひろびろと拡がって見せたりした」

 ▼街で原っぱを見掛けなくなって久しいが、今あったとしてもそこに大勢の子どもを見るのは難しいに違いない。総務省が14日発表した2019年10月1日時点の日本の総人口の推計によると、15歳未満の年少人口は過去最少を更新し1521万人に落ち込んだそうだ。全人口に占める割合を見ていかに少ないかを実感させられた。12.1%だという。8人に1人である。北海道はといえば56万5000人で本道人口に占める割合は10.8%。この割合は47都道府県中、秋田、青森に次いで低い

 ▼広い北海道である。今も原っぱならいくらでも用意できるのだが、遊びに来る子どもたちがいないのではどうしようもない。もしあっても、「いやにひろびろと」見えるだけだろう。急速に進む少子化に手をこまねいているだけだったこれまでの政治がつくづく嘆かれる。


障害を力に

2020年04月15日 09時00分

 盲ろうの障害を乗り越え一生を社会福祉の向上にささげたヘレン・ケラーは、盲目の学者塙保己一を尊敬していた。保己一は江戸後期に、散逸しつつあった日本の古い文献を収集し665冊の『群書類従』を刊行した人である

 ▼7歳の時に病で視力を失い三味線やあん摩の道に進んだものの、覚えが悪く挫折。自殺に失敗したことで不退転の覚悟を固め、子どものころから好きだった学問を究めることにしたのだった。なぜこれほど大きな仕事を成し遂げられたのか。秘密は人並み外れた記憶力と集中力にあった。生まれつき頭の良い子だったが、ハンデを克服する過程で持ち前の能力がさらに磨かれたらしい。障害を生きる力に変えたのである

 ▼科学技術振興機構が13日、来年4月からの日本科学未来館新館長に「IBM T・J・ワトソン研究所」の浅川智恵子フェローを選任すると発表した。浅川氏も事故が元で中学2年の時に失明。その逆境を糧に、誰にでも使いやすいWeb環境を研究してきた人である。視力を失い一番つらかったのは自立性をなくしたことだという。何をするにも他人の助けがいる。教科書も一人では読めない。浅川氏は技術で自由を取り戻そうとコンピューターの世界に飛び込んだ

 ▼その努力は1992年に日本語デジタル点字システム、97年に世界初のホームページ音声読み上げブラウザとして実を結ぶ。以前、講演サイト『TED』でこんな趣旨の話をしていた。「不自由を克服するための挑戦がイノベーションを刺激する」。科学と未来の殿堂で次は何を見せてくれるのか。


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