コラム「透視図」 - 北海道建設新聞社 - e-kensin - Page 315

道建協100年

2016年10月29日 09時40分

 歌手福山雅治さんのバラード曲に『家族になろうよ』(2011年)がある。今では結婚式の定番ソングにもなっているそうだから、ご存じの人も多いだろう

 ▼結婚してこれから二人で暮らし始める女性が、いつかこうなればいいと願う自分たちの将来の姿を、相手の男性に語り掛ける内容の歌詞である。伝えたいことの全ては歌い出しのこの一節に凝縮されているのではないか。「100年経っても好きでいてね」。人が現実に100年生きるのはなかなか難しいが、好きでいてもらわねば100年続かないのもまた事実である。それは生身の人に限らず、企業や団体といった法人でも同じことだろう。「好き」すなわち社会の中で必要とされ存続し、「嫌い」すなわち淘汰(とうた)され消えていくということである

 ▼つまり、この北の大地に必要とされ続けてきた証しと言っていい。一般社団法人北海道建設業協会が100周年を迎えたそうだ。おととい、記念式典と祝賀会が開かれた。めでたいことである。100年前の1916(大正5)年ごろといえば、本州からの北海道移民がようやく落ち着きを見せていた時期。当時累計でその数およそ110万人というから、住宅はもとより交通網や水道、港、農地、工場などありとあらゆる基盤施設が圧倒的に不足していたろう

 ▼その中で建設業はなくてはならない存在だった。時代は移り求められるものは変わったが、地域を支え人々を守る使命は変わらない。これから100年たっても、道民に好きでいてもらえる協会であってほしいものだ。


大川小津波訴訟

2016年10月28日 09時40分

 仙台地裁が出した原告側勝訴の判決を聞き、どうにもやるせない気持ちにとらわれている。東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小児童の、23人の遺族らが市と県を相手取って起こしていた訴訟のことである

 ▼大切なわが子を失ったのだ。事実を知りたいとの遺族の切実な思いはよく分かる。なぜ校庭で無為に時間を過ごした揚げ句、すぐ横の裏山でなく危険な堤防近くの高台にわざわざ逃げたのか。教職員たちはそのとき、どう行動すべきか悩んだだろう。ただ、根本のところで、「津波がここまで到達することはない」と考えていたに違いない。誤った前提からは、誤った対策しか出てこないものだ。巨大な津波が襲ってくるときに、津波に向かって逃げようとしたのだから、残念ながらそういうことだったろう

 ▼一方でそれは、教職員が児童を精いっぱい守ろうとしていたことと矛盾しない。助けられないと悟ったときの無念は、察するに余りある。最後まで救おうともがいたのではないか。教職員は限られた情報の下で、数ある選択肢から生き残る可能性の高い「裏山に逃げる」判断をしなければならなかった。それができなかったのは過失である。今回、地裁が下した「結果回避義務違反」とはそういうことだろう。何か苦渋の判決のようにも見える。それでも少しは遺族が一歩を踏み出す機会になればいいのだが

 ▼巨大な津波は小さな人間の懸命の行動を簡単に踏みにじり、重大な結果をもたらした。その上まだ残された者同士が争わねばならぬとは。どうにもやるせない。


心の旅

2016年10月27日 09時45分

 昨年、日帰りで空知方面をドライブした際、夕張市の道の駅「夕張メロード」に立ち寄った

 ▼これまでも道内各地の道の駅を数々利用してきたが、ここは初めて。入ってみると地元スーパーの一角を間借りした形態である。かえって新鮮で、ゆるキャラ「メロン熊」の土産品の他に、つい、手書きで「おいしい」と書かれたいかにも地元商店手作りの豆大福と地場産野菜も買ってしまった。それもまた旅の楽しみだが。最近、夕張市を舞台にした小説『向田理髪店』(奥田英朗、光文社)を読んだため、街のたたずまいを思い出していたのである。もっとも物語の中では「苫沢町」なのだが、昔は炭鉱で栄え閉山後は映画祭やレジャー施設を誘致するもついには財政破綻したというから、夕張市がモデルに違いあるまい

 ▼札幌で就職した息子が店を継ぐと言って1年で仕事を辞め帰ってくる、深刻な出会い不足のため中国で嫁を見つけてくる―など過疎の町の人間模様を描いた連作短編集で、結末はどれも心温まる。夕張が舞台の小説といえば、あまり有名でないが太平洋戦争前後に、やはり心温まる作品を発表していた小山清も忘れられない。東京浅草の生まれだが、実際に2年ほど夕張の炭鉱で働いていた。その経験を元にした短編「夕張の宿」は戦後夕張の雰囲気を伝えていて味わいがある

 ▼ドライブの旅も楽しいが、読書は居ながらにして時間も空間も飛び越えて心の旅に出られるところがいい。さて、きょうから読書週間である。皆さんも極上の一冊を探して心の旅に出てみてはいかがだろう。


子どもの貧困

2016年10月26日 09時40分

 先週末、そろえねばならないものがあって札幌市内のスーパーとホームセンター、家具量販店を1日で回ったのだが、どこも大盛況なのには驚いた

 ▼休日のスーパーは安売りをしているためいつものこと。ところが他の店もこれほどとは。しかもほとんどの買い物カートには商品がどっさり。不景気などどこ吹く風といった趣なのである。そこで若干気になったのは客の年齢層が高いこと。若者が少ないように見えた。店ごとに対象客層は異なるし、地域によっても違うと言われればそれまでである。ただ、いろいろな階層間で所得格差が拡大している今だからだろう。高齢者と若者の購買力の差が、この週末の風景に現れていたのではとの思いがふと頭をよぎった次第

 ▼安定した職業生活を送り十分な年金も受け取る高齢者と、不安定かつ低賃金での就労を強いられ年金もさほど期待できない若者とでは買い物にも差が出よう。多くのゆがみを生むこの格差だが、解消のめどもないまま進んでいるのが現実である。中でも格差がもたらす最も深刻な問題は子どもの貧困らしい。『子供の貧困が日本を滅ぼす』(日本財団子どもの貧困対策チーム、文春新書)によると、貧困を放置したままにすると、0―15歳の生涯所得合計で日本から約43兆円もの富が失われるそうだ

 ▼家庭の経済格差が教育格差を生み、それがさらに所得格差を招きと、貧困は世代を超えて連鎖していくのだとか。日本社会は今のうちに子どもと若者の未来をどっさり買っておいた方がいい。後になればなるほど高過ぎて買えなくなる。


贈り物を置いて

2016年10月25日 09時38分

 明治期に札幌農学校で学んだ思想家・文学者の内村鑑三は、ある希望を抱いていたそうだ。著書『後世への最大遺物』(1894年)に、こう記している

 ▼「私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたい」。死んでただ天国に行くのではなく、生きた証しを何か残したいと考えていたらしい。誰しも多かれ少なかれ願うことではないか。「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」のことわざもある。つまるところその人の生きたありのままの姿が美しければ、黙っていても後世への贈り物になるということだろう。鑑三も殊更の評価や名誉を求めてはいなかった

 ▼そんなことを思い出したのも、登山家の田部井淳子さんとミスター・ラグビーの平尾誠二さん―二人の人物が最近、相次いで世を去ったからである。分野は違えどそれぞれが、道なき道を切り開き後に続く者たちに夢という大きな贈り物を残していったパイオニアだ。田部井さんは女性として世界で初めてエベレスト登頂を果たした人である。がん発見後も山登りを続け、東日本大震災の応援に、高校生と富士登山にと人々を励ますことに力を尽くした

 ▼平尾さんは英雄だ。現役時代は弱小チームを全国制覇させ、引退後は卓越した指導力で世界と戦える日本ラグビーをつくり上げた。それが多くの人を勇気づけた昨年のワールドカップでの日本の活躍につながっている。天国に行くのが早過ぎたのではないか。贈り物を置いて往くのはまだ先でよかった。


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