コラム「透視図」 - 北海道建設新聞社 - e-kensin - Page 324

つまらない?

2016年08月25日 09時35分

 ▼昭和のムード歌謡を代表する曲の一つに「別れても好きな人」(佐々木勉作詞作曲)がある。1979(昭和54)年にロス・インディオス&シルヴィアが歌い大ヒットした。スナックでは必ずカラオケを入れるという人も少なくないだろう。「別れた人に会った/別れた渋谷で会った」で始まり、「別れても」「好きな人」の男女掛け合いで終わる。未練で湿った女性の心が男たちをいたく刺激するようだ。

 ▼一方、こちらは「好きだけどつまらない人」だそうだ。民進党代表選に出馬表明している蓮舫代表代行が、日本外国特派員協会の記者会見で岡田克也代表を評して言ったことである。正確には「大好きです。ただ、本当につまらない男だと思います」とのこと。湿り気などどこにもなく、むしろドライでばっさりといった感じだろう。岡田氏に代表を続けてほしかったとの未練はなさそうだ。かつて2位では駄目なのかと疑問を呈した蓮舫氏も、今回ばかりは1位を目指すようである。

 ▼もっとも蓮舫氏の発言の趣旨は別の部分にある。「人間はユニークさが大事。私にはそれがある」。ユニークとは唯一性のこと。岡田氏にはないらしい。蓮舫氏からこの言葉を聞くと、前例に既得権益とのレッテル貼りをした揚げ句、国政の混乱を招いた民主党政権時代を思い出す。肯定的に受け取れないのは、それがまだ記憶に新しいからに違いない。さて代表を退く岡田氏だが、「代表を降りても~」の歌い掛けに返される言葉は何だろうか。「つまらない人」でなければいいが。


台風禍

2016年08月24日 09時44分

 ▼プロ野球やサッカーなど応援しているチームのここ一番、勝負が懸かった試合は見ないようにしている、という人がいるようだ。「自分が見ているとなぜか負けるような気がするから」がその理由である。ただの気のせいなのだが、例えば自分がうっかり試合を見たせいで北海道日本ハムファイターズが負けたとなれば、責任を感じないわけにはいかないらしい。つまりは悪縁を断つための縁起担ぎである。

 ▼つい先日のこと。台風7号の本道上陸を機に小欄で、「ことしは台風の襲来も随分と少ないようだ」と書いたら、ここぞとばかりに1週間で3つの台風が連続して押し寄せてきた。いらぬことを書いて天の帳尻合わせを招いたかと心中穏やかでない。7号、11号、9号と1年に3つもの本道上陸は、1951年の統計開始以来例がないという。いずれも雨台風だったため網走・北見・紋別や釧路・根室地方などでは、軒並み観測史上最大の降雨量を記録。深川では石狩川まで氾濫した。

 ▼各地で建設業者が全力を発揮して災害対応に当たっている。堤防流失や道路法面崩壊、路肩決壊などが相次いでいるためだ。応急復旧に、被害拡大防止に、地域の安全点検にと、昼夜を分かたぬ奮闘ぶり。インフラの町医者として果たさねばならぬ役目とはいえ、危険と隣り合わせの仕事である。けがなどないよう十分注意されたい。「日本を打ちてし止まぬ台風禍」(村岸明子)。日本中が台風に悩まされている。ことしは少ないなどと言わぬから、ほどほどにしてご通過願いたい。


最高の夏

2016年08月23日 10時19分

 ▼後のノーベル物理学賞受賞につながる中間子理論を打ち立てたとき、湯川秀樹博士はまだ28歳だった。その当時はこんな感慨を抱いていたという。「坂路を上ってきた旅人が、峠の茶屋で重荷をおろして、一休みする気持」。『旅人 ある物理学者の回想』(角川ソフィア文庫)に記している。大きな成果を上げ、達成感もあったのだろう。ところがそれからの年月には、少し悲しみも混じっていたらしい。

 ▼42歳で日本人初のノーベル賞に輝いた栄光の人生の、一体どこに悲しみがあったのか。それは「いちずに勉強していた時代の私が、無性になつかしい」、そして「勉強以外のことに時間をとられてゆく」ところだったそう。21日に閉会したリオ五輪で4連覇を逃したレスリング女子53㌔級の吉田沙保里選手も、金メダルに向けいちずに練習していたころが、一番充実して競技に向き合えていたのでないか。銀を獲得したのに泣きながら謝る姿を見ているとこちらまで胸が苦しくなった。

 ▼どれだけ余分なものを背負い込んでしまっていたのだろう。金が当然という重圧の上に、日本選手団の主将としての責任。レスリングのこと以外に時間を使わねばならないことも多かったに違いない。北海高校の大西健斗主将は高校野球今大会決勝で惜しくも敗れた後、「最高の夏だったと思います」と爽やかに語っていたが、吉田選手にもいつかそう言える日が来るといい。われわれにとっても心躍る最高の夏だった。それは吉田選手を主将とする選手たちの大活躍のおかげである。


怖いマダニ

2016年08月20日 09時40分

 ▼随分前から行ってみたいと思いながら、怖くてどうしても足を踏み入れられなかった登山道がある。夕張山系の秀峰芦別岳の旧道がそれなのだが、難易度が高いからという訳ではない。ダニに襲われることが格別多いコースだからなのである。一般向けの明るい新道に比べ長く険しい旧道は、歩く人も少なくやぶが茂りやすい。そうした草木と常に接触しながら歩く登山者は、ダニの格好の標的というわけ。

 ▼今月、本道で40歳代の男性が「ダニ媒介性脳炎」のため亡くなったという。お気の毒というほかないが、その報を聞いてダニへの恐怖感が一層増した。憧れの芦別岳旧道はさらに遠くなったようである。この病気はマダニにかまれて発症する感染症で、死亡例は国内で初めてとのこと。マダニといえば「ライム病」がすぐ思い浮かぶが、死を招くこんな病気もあったとは。本道では確認されていないものの、西日本では「重症熱性血小板減少症候群」の症例報告も少なくないのだとか。

 ▼旧道に登るため以前からダニ対策を調べていた。一番は「君子危うきに近寄らず」だが、生息域に入るなら肌を露出させてはいけない。裾や袖口など開口部は閉じ、首にはタオルを巻く。複数で行動し、衣服に付いていないか確認し合うのもいい。取り除くにはガムテープが有効だ。とまあ分かっていても旧道に入る勇気はまだ出ない。趣味なら無理して行くこともないが、仕事で野山に分け入り、やぶこぎをせねばならない人も多いはず。標的にならぬよう鉄壁の守りを心掛けたい。


五輪と記憶

2016年08月19日 09時41分

 ▼小説家の山本一力さんは、エッセーに「五輪にまつわる思い出は、それぞれが四年の時空を飛び越えて、私の中に収まっている」(『くじら日和』文春文庫)と書いていた。東京開催の1964年には高校で「東京五輪音頭」の踊りを練習し、ミュンヘンの72年には旅行会社の添乗員としてパリにいて、選手村がテロに襲われたと聞き不安で仕方がなかったそうだ。五輪が記憶の糸口になっているのだろう。

 ▼言われてみれば確かに筆者も、72年の札幌冬季五輪での笠谷幸生選手ら日の丸飛行隊の活躍を思い出すと、同時に小学生だった当時の楽しかった情景があれこれ浮かんでくる。五輪と自分の思い出が結び付いている人は、案外多いのかもしれぬ。あらためて振り返ると、72年ごろは今に比べて社会に勢いがあり、みんな元気だったとの記憶もよみがえる。それもそのはず、最近再び注目されている故田中角栄氏が『日本列島改造論』を発表し、総理大臣の座に就いたのも同じ年だった。

 ▼角栄氏は国土の均衡ある発展を目指し、日本列島を高速道や新幹線など高速交通ネットワークでつないでいったのである。強力な政治主導で論を現実に変えた。良いことばかりではなかったろう。また、いつの時代にも同じ手法が通用するわけでもあるまい。ただ社会には、夢や希望があったのでないか。さて10年先、50年先に若者たちが今回のリオ五輪を振り返ったとき、何が頭の引き出しから出てくるだろうか。選手の健闘ぶりの他に思い出せるのが時代の閉塞感だけなら寂しい。


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