▼その国ならではの意味合いを伝えるものだが、他の国にはぴったりの表現がない。そんな言葉が世界には数多くあるようだ。エラ・フランシス・サンダースさんの『翻訳できない世界のことば』(創元社)に教えられた。例えばアラビア語の「サマル」は、「日が暮れたあと遅くまで夜更かしして、友達と楽しく過ごすこと」だそうである。もちろん日本にも同じ状況はあるが対応する単語は思い付かない。
▼言葉は価値観を映す鏡のようなもの。「サマル」がアラビアでどれだけ大切にされているか分かる。また、ウルドゥー語では「だれかに無条件に愛されることによって生まれてくる、自信と心の安定」を「ナーズ」と呼ぶらしい。英知を感じさせられる言葉だ。埼玉で16歳の井上翼君の遺体が見つかった事件に関与した少年たちも、もともとは「サマル」や「ナーズ」といった人と人とのつながりを求めてグループを組んだのかもしれない。だが英知の道からは大きく足を踏み外した。
▼まだ未熟な少年たちは、満たされない承認欲求を仲間内で充足させようとする。井上君も当初は居場所を見つけた気でいたのだろう。それが最悪の結果を生んだ。逮捕されたのが少年とはいえ彼らの犯した短絡的で残酷な行為は、決して許されるものではない。それが過剰な仲間意識ゆえのものだとしても、言い訳にはならない。昨年の川崎市での事件といい、このところ少年たちの暴走が目立つ。激しく揺れ動く思春期特有の翻訳できない心を、読み解くすべがどこかにないものか。