コラム「透視図」 - 北海道建設新聞社 - e-kensin - Page 323

翻訳できない

2016年08月31日 10時08分

 ▼その国ならではの意味合いを伝えるものだが、他の国にはぴったりの表現がない。そんな言葉が世界には数多くあるようだ。エラ・フランシス・サンダースさんの『翻訳できない世界のことば』(創元社)に教えられた。例えばアラビア語の「サマル」は、「日が暮れたあと遅くまで夜更かしして、友達と楽しく過ごすこと」だそうである。もちろん日本にも同じ状況はあるが対応する単語は思い付かない。

 ▼言葉は価値観を映す鏡のようなもの。「サマル」がアラビアでどれだけ大切にされているか分かる。また、ウルドゥー語では「だれかに無条件に愛されることによって生まれてくる、自信と心の安定」を「ナーズ」と呼ぶらしい。英知を感じさせられる言葉だ。埼玉で16歳の井上翼君の遺体が見つかった事件に関与した少年たちも、もともとは「サマル」や「ナーズ」といった人と人とのつながりを求めてグループを組んだのかもしれない。だが英知の道からは大きく足を踏み外した。

 ▼まだ未熟な少年たちは、満たされない承認欲求を仲間内で充足させようとする。井上君も当初は居場所を見つけた気でいたのだろう。それが最悪の結果を生んだ。逮捕されたのが少年とはいえ彼らの犯した短絡的で残酷な行為は、決して許されるものではない。それが過剰な仲間意識ゆえのものだとしても、言い訳にはならない。昨年の川崎市での事件といい、このところ少年たちの暴走が目立つ。激しく揺れ動く思春期特有の翻訳できない心を、読み解くすべがどこかにないものか。


強制失踪の被害

2016年08月30日 09時35分

 ▼ふとした拍子に、離れて久しい古里のことが切なく脳裏によみがえってくることは、誰にでもあるのでないか。詩人三好達治に「郷愁」という詩がある。始まりはこうだ。「蝶のやうな私の郷愁!……。蝶はいくつか籬を越え、午後の街角に海を見る……。私は壁に海を聴く……。私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる」。達治も、あるはずのない場所に海を見て壁の向こうにさざ波の音を聞いていたのだろう。

 ▼強い望郷の思いがそれを見せているのに違いない。北朝鮮による拉致の被害者で、14年前に帰国した蓮池薫さんも捕らわれ先で同様の経験をしていたという。軟禁されていた「招待所」の西側にあった小高い丘の向こうに、日本海があるような気がして仕方なかったそうだ。内陸の平壌で海からは遠く離れていたにもかかわらず。『拉致と決断』(新潮文庫)に記していた。蓮池さんは拉致にこう憤っている。被害者たちは「それぞれの『絆』と『夢』を断ち切られ運命を狂わされた」

 ▼きょうは国連などが定めた「強制失踪の被害者のための国際デー」である。今も特定の国が何らかの目的で、自国や他国の人を強制的に連れ去り、隔離・監禁する例が後を絶たない。そんな現実を忘れないための日だという。日本では北朝鮮による拉致事件がまだ解決しないまま残されている。独裁政権がのさばる国、テロや内戦が続く国で失踪者が相次ぐ。当たり前の日常や愛する人と無理やり引き離されてしまい、壁の向こうに古里を見ている被害者が世界には大勢いるのである。


高齢者の生活

2016年08月27日 10時00分

 ▼何かと難しい問題のある高齢化社会だが、こんな川柳を聞くと身につまされながら思わずニヤリとする人がいるに違いない。いずれも『平成川柳傑作選』(毎日新聞出版)で読んだ作品である。「片思い昔あの娘で今は孫」(孫孫)。納得であろう。「じいちゃんが一番好きにだまされる」(ゆきはる)。かわいいから許せる。ただしこれはつらい。「電話するたび『な~んだぁ爺ちゃんか』」(上田寛)。

 ▼子や孫とのつきあいが大きな生きがいになるのは、どうやら世界共通らしい。内閣府が今月公表した2015年度「高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」にもそれが表れていた。日本と米国、ドイツ、スウェーデンの4カ国を比較しているのだが、「生きがいを感じる時」との設問に対する答えは、いずれの国も「子どもや孫など家族との団らんの時」が最も多かったのである。息子・娘たちとの交流や孫の成長する姿に、元気や幸せをもらっている人が多いということだろう。

 ▼少しばかり気になる結果もある。「同居の家族以外に頼れる人」の設問に、米国とドイツの45%、スウェーデンの43%が「友人」と答えているのに、日本はその半分以下の19%だったのだ。はて、日本人は友人が少ないのか、それとも友人を頼ろうとはしていないのか。身内以外に迷惑は掛けられないとの国民性が出たのかも。そういえば家族に比べ、友人を題材にした川柳も少ないようだ。友人をネタにした川柳がどんどん出てくる方が、高齢化社会として生きやすいのかもしれぬ。


高齢者の生活

2016年08月27日 10時00分

 ▼何かと難しい問題のある高齢化社会だが、こんな川柳を聞くと身につまされながら思わずニヤリとする人がいるに違いない。いずれも『平成川柳傑作選』(毎日新聞出版)で読んだ作品である。「片思い昔あの娘で今は孫」(孫孫)。納得であろう。「じいちゃんが一番好きにだまされる」(ゆきはる)。かわいいから許せる。ただしこれはつらい。「電話するたび『な~んだぁ爺ちゃんか』」(上田寛)。

 ▼子や孫とのつきあいが大きな生きがいになるのは、どうやら世界共通らしい。内閣府が今月公表した2015年度「高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」にもそれが表れていた。日本と米国、ドイツ、スウェーデンの4カ国を比較しているのだが、「生きがいを感じる時」との設問に対する答えは、いずれの国も「子どもや孫など家族との団らんの時」が最も多かったのである。息子・娘たちとの交流や孫の成長する姿に、元気や幸せをもらっている人が多いということだろう。

 ▼少しばかり気になる結果もある。「同居の家族以外に頼れる人」の設問に、米国とドイツの45%、スウェーデンの43%が「友人」と答えているのに、日本はその半分以下の19%だったのだ。はて、日本人は友人が少ないのか、それとも友人を頼ろうとはしていないのか。身内以外に迷惑は掛けられないとの国民性が出たのかも。そういえば家族に比べ、友人を題材にした川柳も少ないようだ。友人をネタにした川柳がどんどん出てくる方が、高齢化社会として生きやすいのかもしれぬ。


3人の旅は

2016年08月26日 09時33分

 ▼ことわざに「三人旅の一人乞食」がある。3人で何かをしようとすると、その中の1人がどうしてか貧乏くじを引いたり、仲間外れになったりすることを教えるものだ。こうした例えは日本に限らず世界中にあるようで、ケニアには「二人なら友達、三人はいさかい」、英国にも「二人なら仲間、三人ではご破算」といったことわざがあるそうだ。言語や文化は違えど人として共通するものがあるのだろう。

 ▼つい最近、そのことわざを思い出させるようなニュースに触れた。24日に開かれた日中韓外相会談である。あらわになったのは日韓の関係改善と中国の孤立だった。3人で旅をしていて、連れの1人にあまり協調性がないため、あとの2人が少し距離を置いて歩くことにしたわけだ。何も意地悪で仲間外れにしたわけではない。日中間は尖閣諸島周辺の領海への中国公船侵入で緊張状態にあり、中韓間は最新鋭のミサイル防衛システムをめぐるあつれきで隙間風が吹いているのである。

 ▼とはいえ、昨年は抗日戦勝70年の名目で中韓が足並みをそろえ、日本は一人蚊帳の外に置かれていた。またかつて日中の経済連携がうまくいっている時代は、両国とも韓国を眼中に入れていなかった。どうやらアジアの東に位置するこの3国は、「三人旅」のことわざのわなに落ちているらしい。ただ意見交換の機会は今後も大切にすべきだろう。これも「三人」もののことわざだが、いつか「文殊の知恵」が湧き出てこないとも限らない。まあ、だいぶ先のことにはなるのだろうが。


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