「歴史に埋もれた道 復元」
石狩―留萌をつなぐ増毛山道と濃昼(ごきびる)山道は江戸時代後期、帝政ロシアに対する北方警備のため箱館奉行所の命令でニシン漁を行う場所請負人が私費で開削した。北海道の名付け親である松浦武四郎が「蝦夷地第一の出来栄え」と評した希少な山道でもある。
しかし、昭和初期に駅逓が廃止されると一気に廃れクマイザサに埋もれていった。平成に入り存在を知った有志により濃昼山道は一部が復元保存され、増毛山道はNPO法人増毛山道の会などの手で10年の歳月を経て2016年10月16日に全32㌔が完全復元された。(おわり)