コラム「透視図」 - 北海道建設新聞社 - e-kensin - Page 143

横田滋さん死去

2020年06月09日 09時00分

 万葉歌人山上憶良の歌でまず思い浮かぶのは「銀(しろかね)も 金(くがね)も 玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」の一首でないか。わが子への深い愛情がにじむ名歌である

 ▼その思いは生涯変わらなかったらしい。晩年には老いて重病に苦しむ中でこんな歌も詠んでいた。「五月蠅なす 騒く子どもを打棄てては 死には知らず 見つつあれば心は燃えぬ かにかくに思ひ煩ひ 音のみし泣かゆ」。憶良はこのとき、いっそ死にたいと願うほど容態が悪かった。それでも「うるさいくらい元気な子どもを放っては死ねない。見ているだけで力も湧く。ただいろいろ考えると泣けてくる」というのである。子どもを守りたい一心で日々命をつないでいたのだ

 ▼北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で、40年以上の長きにわたり娘ら拉致被害者の救出活動を続けてきた横田滋さんが5日、老衰のため亡くなった。この方も娘を取り返し、笑顔を見るまでは死ねないと必死に頑張ってきた人だろう。幸福を奪った北朝鮮はもちろん、被害者家族は国内政治にも翻弄(ほんろう)されてきた。めぐみさんの拉致疑惑が持ち上がった1997年当時、社民党は「拉致は日本側の創作だ」と主張し解決を妨げ、自民党の一部政治家も国交回復を進めるため事件を大ごとにしないよう画策していたのである

 ▼安倍首相が本腰を入れ状況は改善されたが、かの国は依然かたくなだ。そんな中でも横田さんは常に冷静で、諦めなど無縁の強さを秘めているように見えた。心の中ではどれだけ泣いていたことか。


スーパーシティ

2020年06月08日 09時00分

 東京の前身である江戸は時代の先端を行く都市だった。1700年代前半に人口が100万人を超えていたのがそれを裏付けている。世界でもあまり例がない

 ▼それだけの人の生活を支える画期的インフラがあったということである。とりわけ重要なのは上水道と運河だろう。江戸の地下には水道網が張り巡らされ、皆必要なときに十分な量の水を使えた。煮炊きはもちろん、衛生を保つにも消防にも水は欠かせない。一方、運河は海と山と街を結び、産物や製品を迅速かつ確実にやりとりできる仕組みを社会に実装した。これが物流革命をもたらし、江戸の発展に大きく寄与したのである。その恩恵は、われわれが通販大手「アマゾン」の普及を経験したときの比ではあるまい

 ▼優れた点はまだまだあるが、全体として江戸は18世紀、世界でも他に類を見ない高度なシステムを誇る都市だったのである。その栄光再びの期待もかかろう。「スーパーシティ構想」を後押しする改正国家戦略特区法が先日、成立した。この構想は人工知能(AI)やビッグデータを活用し、社会のあり方を根本から変えるような都市づくりを進める試みである。実現を目指すのは自動運転やドローン配送、キャッシュレス、遠隔医療・教育、エネルギーの最適管理など

 ▼各国がわれこそはと、先行争いにしのぎを削っているそうだ。ところが日本は技術こそあるものの場がないため、若干遅れ気味なんだとか。この特区法成立を機に、かつてスーパーシティ江戸を265年にわたって維持した日本の底力を見せたいところではある。


いわき市の一家心中

2020年06月05日 09時00分

 親を愛する子の思いは真っ直ぐであるがゆえに時として痛々しい。森鴎外は短編「最後の一句」で、そんな子の命懸けの行動を丹念に描いてみせた

 ▼江戸時代の話である。不幸な成り行きで死罪と決まった太郎兵衛の子どもたちが、自分たちの命と引き換えに父を助けてと奉行に願い出た。16歳の長女を筆頭に下は6歳までの5人兄弟である。子どもたちは父が戻れば毎日泣き暮らす母も元気になると考えたのだった。どんな沙汰が下されたのか。調べが長引いたことで51年ぶりに挙行された大嘗祭(だいじょうさい)と重なり、太郎兵衛は恩赦。子どもたちも死を免れたのだ。その物語を思い出したのは、きのう、新聞の片隅に出ていた記事を見たためである

 ▼記事はことし1月、いわき市で起こった母子4人殺害事件の初公判を伝えていた。真相は殺人罪に問われた被告の男(51)が、当時同居していた交際相手の女性(43)に頼まれ、女性の子どもたちからの承諾も得た上で実行された一家心中だったという。経済的困窮から女性が自殺願望を抱き、男も同調。どうするか聞かれた15歳の息子と、共に13歳の双子の娘たち3人も、母親だけを死なせるわけにいかないと心中を受け入れたらしい。冷静な判断ができたはずもない。むごい話である。楽しいことがこれからいっぱいあったろうに

 ▼明かされていない事情もあるかもしれないが、何にせよこんな行為は間違っている。子どもが決めたことだから、では済まされない。純真な愛情に甘えて、子どもを大人の勝手に巻き込むなどあってはならないのだ。


19日にプロ野球開幕

2020年06月04日 09時00分

 物理学者寺田寅彦の随筆「野球時代」を読むと、昭和初期のころ、庶民がいかに野球に熱中していたかをうかがい知れて面白い。寅彦は日常の風景をそのまま記している

 ▼二人の女の子がラジオで野球中継を聞いていたそうだ。「わかるのか」と尋ねると、「そうねえ」とよくは分かっていない様子。そこで寅彦はこう考えるのだ。「とにかくこの放送を聞くことは現代に生きる事の一つの要件であるかもしれない」。投げて打って走って、点が入る。よくは分からなくとも、ひいきにしているチームの調子が良ければそれだけで幸せな気分になれる。昔も今も変わらぬ野球の魅力だろう

 ▼そんなゲームを見たり聞いたりする毎日を「生きる事の一つの要件」にしているファンにとっては待ちに待った日に違いない。プロ野球12球団が新型コロナウイルス感染拡大のため見合わせていたセ・パ両リーグの公式戦を、19日に開幕すると決めた。当初予定されていたのが3月20日だからほぼ3カ月遅れのスタートである。応援ユニフォームやメガホンを引っ張り出し、いつでも来いと準備を整えている人もいるのでないか。心は既に球場へ飛んでいよう。ただ、残念ながら体は家にとどめておいてもらわねばならない。当面は無観客試合になるからである。きのうも選手から感染者が出た。そんな現状では慎重になるのも当然だ

 ▼かつて正岡子規は「うちあぐるボールは高く雲に入りて又落ち来る人の手の中に」と歌った。そんな絵になるプレーを球場で実際目にするのは、もう少し先の楽しみにとっておくしかない。


学校再開

2020年06月03日 09時00分

 商店のあるつじを左に折れ、橋を渡って少し行くと学校に着く―。誰もが自分の通学路を持っているものだろう。毎日歩く道だけにいつまでも記憶に残る

 ▼住野よるさんの小説『君の膵臓をたべたい』(双葉社)にも印象的な一節があった。難病を患う女子高生の友人を見送りながら「僕」が思うのだ。「きっと、僕が見ているいつもの帰り道と彼女が見るいつもの帰り道では、その一歩一歩の見え方がまるで違う」。おととい、会社に行こうと自宅を出ると、学校へと向かう高校生たちの姿があった。彼らもようやく自分の通学路に戻ってこれたわけだ。新型コロナウイルスの感染拡大で臨時休校していた小、中学校、高校が1日に再開されたのである。第2波に見舞われた本道では休校措置が5月末まで延長されていた

 ▼しばらくぶりに見る「いつも」の登校風景に思わず頬が緩んだ。彼らにしても、久しぶりの通学路はだいぶ違って見えたのでないか。休んでいるうちに桜は散り、街路樹は緑に変わっている。とはいえすぐ元通りというわけにもいかない。密を避けるため当面は分散登校になるようだ。数グループに分け、日や時間をずらして授業をするのである。遅れを取り戻すため夏休みも短縮するらしい

 ▼「修学旅行で眼鏡をはずした中村は美少女でした。それで、それだけ」笹公人。そんな思い出づくりの場となる修学旅行や体育大会、学校祭を見直すところも多いと聞く。コロナのせいだがふびんな話である。彼らが見るのはきっと例年と違う景色だろう。それもまた美しいものであればいいが。


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