幅広い学識から知の巨人とも称されるイタリアの小説家ウンベルト・エーコがこの世を去ったのは2016年のことである。どうしても書き残しておきたかったのだろうか。同年に発表した最後の長編小説『ヌメロ・ゼロ』(河出書房新社)でエーコが選んだテーマは現代のゆがんだジャーナリズムだった
▼物語の舞台は新聞社。日刊紙を創刊するために記者が集められる。闇に葬られた真実を暴くという触れ込みだ。ところがどこかおかしい。新聞の方向を決める会議で編集者がこんな話をする。「ニュースが新聞をつくるのではなく、新聞がニュースをつくるのだ」。つまり本当に言いたいことは「我々がニュースをつくり、ニュースにならせるのだ」
▼葬られたどころか何もないところから読者が喜ぶ〝真実〟を引っ張り出せというのである。それを思い出したのは新聞やテレビなどマスメディアが、森喜朗元首相を総掛かりで糾弾しているのを見て恐ろしさを覚えたからである。度を超しているのでないか。発端は3日のJOC臨時評議員会での森氏の発言である。確かに女性に対し配慮を欠いていた。ただ『日刊スポーツ』ウェブ版に載った全40分の発言を読んでも、マスメディアが叫ぶ世界に恥ずべき女性差別主義者の像は浮かんでこない
▼森氏は謝罪したが人格攻撃は止まず、家族まで追い回されていると聞く。ここまでくるといじめと同じ。先の編集者は語る。「他者の不幸を見て得られる喜び。新聞は、こういう感情を尊重しかつ掻き立てるべきなのだ」。マスメディアはこれを一蹴できるか。