沖縄県那覇市の首里城できのう火災が発生し、建物群の中心を成す正殿と北殿、南殿が全焼した。テレビ各局は朝から一斉に、炎を上げて激しく燃える衝撃的な映像を流していた。あまりの惨状に言葉を失った人も多かったに違いない
▼観光名所として知られてはいるものの、琉球民族のアイデンティティーのよりどころとなる場であり、また聖地とも呼ばれる王宮である。沖縄の方々の喪失感と悲嘆はいかばかりか。首里城は太平洋戦争末期の沖縄戦で一度焼失している。日本軍が拠点にしていたため最後の決戦地となったのだ。県民の悲願がかない復元されたのが1992年。去年11月には2年3カ月をかけた正殿お色直し、漆の塗り替えが終わったばかりだったという
▼県出身の画家で沖縄文化財の権威山里永吉氏は復元前、「もし首里の街が戦前のままそっくり残っていたら、沖縄は京都、奈良、日光と肩を並べる」と語っていたそうだ(『沖縄史の発掘』)。復元により並びかけたその肩がまた失われた。焼けたのは7棟、合わせて4000m²を超えるらしい。沖縄の歴史と心を取り戻そうと、資料が少ない中で県民や研究者、宮大工、職人らが長年取り組んだ末にやっと成し遂げた仕事だったと聞く
▼この春火災に遭ったパリのノートルダム大聖堂を思い出す。世界中が悲しみに沈んだ。ところが片付けや意匠の検討に手間取り、再建は遅れているとのこと。首里城も世界遺産の上に立つ。ここは国が主体的役割を果たすべきだろう。容易ではないが一日も早くふたたび沖縄の心を取り戻したい。