いつのころからだろうか。「オールジャパン」が「日本の総力を挙げて」の意味合いで使われるようになったのは。昔から単に全日本を表す言葉としては普及していた。ただ国際大会で日本の結束や一体感を強調する用語としては使われていなかったように思う
▼サッカーのワールドカップやワールド・ベースボール・クラシックで日本代表が活躍し始めたころからだった気もするが、はっきりしたことは分からない。結束や一体感を意味する「オール」が気になったのは、おとといの日曜日に投開票が行われた沖縄県名護市長選挙の報に触れたからである。翁長雄志知事らが先頭に立ついわゆる「オール沖縄」の応援を受けて戦った現職の稲嶺進氏が敗れ、自民、公明両党が推薦した新人の渡具知武豊氏が勝利を収めた
▼得票数は稲嶺氏の1万6931票に対し、渡具知氏が2万389票。投票率76.9%でこれだけ大きな差がついたわけだから、今回、稲嶺氏側に「オール」の実態はなかったということだろう。辺野古基地問題に翻弄(ほんろう)される市民の心は複雑だったに違いない。『平成川柳傑作選』(毎日新聞出版)にこんな句があった。「本当は支持率じゃなく期待率」マーちゃん。政治全般に言えることだが選挙も同じである
▼市民は基地問題より身近な市政を重視する渡具知氏に期待したわけだ。市民の選択に早速けちをつける政治家やメディアもあるようだがやめた方がいい。結束の「オール」も行き過ぎてオール・オア・ナッシング(全てか無か)になるなら、民主主義は健全さを失う。