1970(昭和45)年1月1日付の特集に掲載された札幌駅前通を中心とした都心部を見ると、ビルの高層化が進んできているのが分かる。第1~3回では、札幌駅前通沿いのうち、南1条―南4条間を中心に本紙を振り返ってきたが、今回は南1条―南4条間よりも一足早くビル化が進んだ大通以北の札幌駅前通北街区に目を向けてみる。
「日本一の超大ビル計画」「延べ8万8千平m 43年着工で準備」―。やや大げさとも思える見出しが、1966(昭和41)年12月2日付に登場する。第1回で紹介したように1960、70年代の札幌市の中心市街地では、木造の低層店舗が立ち並ぶ街区をビル化する事業が盛んに行われた。札幌を代表する商店街「狸小路」の5丁目(南2、3条西5丁目)全域を対象に構想されたこの計画の経緯をたどると、再開発の難しさの一端が分かる。
1962(昭和37)年から数年間の北海道建設新聞を見ると、「防災街区」や「防災ビル」といった見出しを伴った記事が連日のように登場する。「防災」とは、市街地の不燃化による再開発を後押しする防災建築街区造成事業のことで、同事業の根拠となる防災建築街区造成法は61年6月1日に制定されている。札幌では、南1条からススキノの札幌駅前通沿いや狸小路地区などを対象に同事業による店舗の共同化(ビル化)が集中的に行われ、今日の街並みを形成した。