コラム「透視図」 - 北海道建設新聞社 - e-kensin - Page 127

カタカナ語

2020年10月09日 09時00分

 厚生労働省が12月から全国の教育現場を対象に、初の「ヤングケアラー」実態調査を始めることにしたそうだ。ヤングケアラーとは病気や障害などのある家族の介護をする18歳未満の子どもを指す

 ▼介護に追われて満足に学校へ通えず、日々の生活もままならない子どもが世の中には相当数いるそうだ。ところがその実態は今までほとんど分かっていなかったらしい。現状を把握して負担軽減や支援につなげるという。いいことである。ただここで話題にしたいのはヤングケアラーという言葉の方。近頃、行政でカタカナ語が無造作に使われ過ぎていないか。ビジネスと違い、行政はいろいろな人に情報を伝えねばならない。ヤングケアラーと聞いて分かる人がどれだけいるだろう

 ▼カタカナ語が気になるのは、コロナ禍が長引いているせいもある。小池百合子東京都知事が典型だが、〝クラスターが発生してオーバーシュートの懸念があるためアラートを発動します。ロックダウンだけは避けたい〟といった具合。それでなくともインバウンド拡大だのソサエティー5・0だのダイバーシティ推進だの。けむに巻こうとしているのか、カッコつけなのか。耳なじみのない言葉が続出する

 ▼文化庁が先日発表した「国語に関する世論調査」でも、日本語の乱れに〈外国語の多用〉を挙げる人が一定数いた。2年前の同じ調査では、〈カタカナ語の意味が分からず困る〉人が8割を超えていた。言葉が壁となって大事な問題に関心も示されないのでは行政として元も子もない。カタカナ語乱用にアラート発動である。


こころ

2020年10月08日 09時00分

 自分がまいた種は自分で刈り取らねばならぬ―。今でもたまに使われる言い回しだろう。自分が原因で起こった出来事の責任は、自分で負わねばならないという意味である。文豪夏目漱石はそれを小説『こころ』の主題に据えた

 ▼ある女性を巡って友人を精神的に追い詰め自殺に追いやってしまった「先生」が、その後も自分の過去の行為から逃れられないまま苦しみ続ける内容である。最後には先生も自ら命を絶つ。存在を消し去るまで自分を追い込むのもどうかと思うが、人の道を踏み外して手に入れた幸せを潔しとしなかった先生の考えには胸を突かれるものがある。とはいえ実際は過ちなどどこ吹く風と、責任回避にきゅうきゅうとする人が多いのが現実かもしれない

 ▼それを思い出したのは一つの裁判に触れたためである。死亡交通事故を起こしたものの原因は病気だったとして1審で無罪になった男性(88)が、控訴審で「罪を償いたい」と自ら有罪を主張したというのだ。聞いたことのない話である。事故は2018年、前橋市で発生した。男性の運転する車が自転車で登校中の女子高生2人をはね、1人が亡くなったのである。男性は持病の薬の副作用が事故の原因だったとする弁護側主張が認められ、無罪。検察側が控訴していた

 ▼男性が検察側の訴えを認め、有罪受け入れを表明したのは6日の控訴審初公判でのこと。たとえ無罪になったとしても自分の過ちが消えるわけではない。無罪判決を捨て去ってでも失いたくない何かがあったのだろう。それは人の「こころ」というものでないか。


日本学術会議の会員

2020年10月07日 09時00分

 米デジタル製品大手アップルの創業者スティーブ・ジョブズは、イエスよりノーを多く発することで知られていた

 ▼製品の開発や改良に取り組んでいる際、一見優れたアイデアにもめったに「イエス(良し)」とは言わず、門前払い、差し戻し、再検討を意味する「ノー」を繰り返したそうだ。製品を刷新するには従来の枠にとらわれていてはいけない、ノーを判断することこそがトップの役割と考えていたのである。上がってきたアイデアをうのみにしたり、前例を踏襲したりする方が楽で進行も早いが、それでは自分の理想とする画期的製品はできないとの信念があったらしい。この人も同じ考えなのだろうか

 ▼菅首相が日本学術会議の会員候補6人を任命しなかった件が波紋を呼んでいる。1949年の会議創設以来、時の首相が任命を見送った例はない。菅氏は首相就任後すぐに縦割り打破を掲げ行政改革に乗り出している。会議も国の機関である以上、まな板に載せないまま済ますつもりはないのだろう。菅政権の発足からまだ1カ月もたっていない。ところが行政手続きの押印廃止、デジタル庁の創設準備、縦割り110番、国と地方の関係見直しと矢継ぎ早に策が出てくる。行政改革が首相の理想の1丁目1番地だからに違いない

 ▼とすれば首相が会議にノーを突きつけるのも大事な役割。ただし任命見送りについてはもっと丁寧に説明した方がいい。会議側も推薦が入れられないのは「学問の自由の侵害」と熱くならずに、運営が前例主義に陥っていなかったか科学的に検証してみてはいかがか。


自然災害時の補償

2020年10月06日 09時00分

 昭和の終わりころまでは、建設や製造の現場でまだ普通に使われていた言葉だろう。「けがと弁当は自分持ち」である。〝事故でけがをして痛い目に遭うのは自分だ。十分気をつけろよ〟との助言をユーモア交じりに与えるものだが、今なら上の者が責任を放棄していると捉えられかねない

 ▼多少の過失があっても事故にならない現場づくりが求められ、当事者に責任を負わせて終わりという時代でもないためである。最近、気になる記事を見た。時事問題を扱うウェブサイト『アゴラ』に掲載されていた「知られざる災害リスク」である。自治体に協力して自然災害の復旧に当たる建設関係者が不慮の事故に遭ったとき、十分な補償がないという内容だ

 ▼実際その通りで、自治体はもちろん自衛隊や警察、消防の職員なら公的補償を期待できるが、建設関係者は民間の協力者ゆえそれがない。まさに「けがと弁当は自分持ち」になりかねないのが実態だ。真っ先に災害現場へ飛び込んでゆくのは同じなのにである。本紙9月4日付11面「胆振東部地震2年」の記事で、この地震を経験して「災害復興に携わる建設業界に入りたい」と今春、砂子組(本社・奈井江)に就職した金谷柊迆さんを紹介していた。建設関係者には地域を守る使命感に燃えた人が多い

 ▼それだけにいざ自然災害で何かあったときの補償が労災保険だけというのは寂しい限り。地域の建設業者は普段の見回りから災害時の初動、応急復旧、復興まで全てに関わる。普段の現場とはまるで状況は違う。もしものときの支えはもっとあっていい。


池江選手がインカレで4位

2020年10月05日 09時00分

 小説家の佐藤愛子さんは、師からもらったあるひと言で人生が変わったそうだ。エッセー「師の訓え」に記していた

 ▼38歳の時である。楽しみにしていた同窓会の2日前に、夫の会社が多額の負債を抱えて倒産した。「気持ちも体もヘナヘナ」になって出席は断るつもりだったが、たまたま会った師に話すと、こう促されたという。「いっそ苦しいことの中に座りこんでそれを受け止める、その方がらくなんですよ」。背中を押されて佐藤さんは出席。友人に現状も話した。するとどうだろう。「元気が出てきた。私はここへ来る力があったということが、多分自信になったのだと思う」。困難にあえて飛び込むことはときに自分の中に眠っていた力を引き出す

 ▼人生経験豊富な佐藤さんのような人ならともかく、まだ20歳のこの若者は一体どこでそれを学んだのか。白血病の闘病を終え実戦復帰した日大2年の池江璃花子選手が1日、日本学生選手権(インカレ)の女子50㍍自由形に出場し、決勝で4位に入った。治療後1年しかたっていない。8月29日の復帰初戦東京都特別大会では体の細さが目立った。全盛期を覚えている人は皆、痛々しく感じたはずである。なのにインカレではかなりたくましさが戻っていた。生半可な鍛錬でできることではあるまい

 ▼彼女は復帰後のことを、「第二の水泳人生」と呼んでいるそうだ。ゼロからやり直す覚悟の表れでないか。やはり苦しいことの中に座りこんでそれを受け止め、自信に変えていく人なのだろう。しんどい「らく」を選んだ池江選手にエールを送りたい。


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