コラム「透視図」 - 北海道建設新聞社 - e-kensin - Page 277

夏休み

2017年08月17日 09時17分

 この夏休みも子どもたちの宝物になるたくさんの思い出が生まれたのではないか。「西瓜を食べてた 夏休み 水まきしたっけ 夏休み ひまわり 夕立 せみの声」

 ▼「麦わら帽子は もう消えた」で始まる吉田拓郎さんの歌『夏休み』だが、今振り返ると詞に出てくるような特別でないことでも、夏休みというだけでなぜあれほど楽しく感じられたのか。今も昔も子どもにとって夏休みは魔法の時間であるらしい。いや子どもたちにとってだけではなさそうだ。孫が遊びに来たおじいちゃん、おばあちゃんにとっても貴重な時間に違いない。『こどもの詩』(文春新書)に、「夏休みの一番楽しかったこと」があった

 ▼「おばあちゃんの家に行った いっぱいけがをしたけれど 一番たのしくあそんできた 滝を見にいったり みんなでごはんを食べにいったりした 帰るとき おじいちゃんがなぜか泣いていた そのあとで にがわらいしていた」(橘祐樹・小5)。自分のことだと思う人も多いのでないか。ところがおじいちゃん、おばあちゃんの家に遊びに行った帰り、泣いて別れを惜しんだ孫も10年もたてば自然、足は遠のいていく。子どもの成長は早いものである。そんなうれしくも寂しい現実を知っているからこそのいとしさでもあろう

 ▼さて子どもたちには残念なことだが、本道の小中学校ではほとんどが21日、早い地域だとあす、新学期が始まる。宝物のような思い出は残ったが、実は宿題もまだいっぱい残っているという子も少なくないのでないか。こればかりは魔法でもどうにも…。


「山の日」に

2017年08月11日 07時00分

 きょうは「山の日」である。去年設けられた国民の祝日だが、お盆と並んでいるためか少々影が薄い

 ▼ただ深田久弥氏が著書『日本百名山』に「日本人ほど山を崇び山に親しんだ国民は、世界に類がない。国を肇めた昔から山に縁があり、どの芸術の分野にも山を取扱わなかったものはない」と記している通り、古くから日本人と山との関係は深く濃い。今回は山にちなんだ言葉を紹介し、「山の日」に色を添えたい。最初にアイガーなど世界三大北壁の冬期単独登山を成功させた長谷川恒男。「みんなの中に、きっと北壁があると私は信じている。その壁に向かって努力している人は、きっとまた新しい壁を見つけるだろう」。誰もが汗をかきながら、心の中の自分の山を登っている

 ▼次に夏目漱石の『行人』から。「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。(中略)。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山のほうへ歩いてゆかない」。来ぬことに怒るのでなく自分が動くべき。続いて世界7大陸の最高峰を登頂した女性登山家田部井淳子さん。「知らない山では近道を選んではいけない」。楽そうに見える道には思わぬ落とし穴がある

 ▼石塚真一氏の山岳漫画『岳』で主人公島崎三歩が遭難者らにまず掛ける言葉。「良く頑張った」。つらいとき、ねぎらいの一言に勇気が湧く。最後は食生態学者西丸震哉氏の仲間との会話。「山なんか登るやつはバカだよ」「あしたっからはバカになるんだなあ」。二人はきっと笑顔だろう。人生、ばかなことほど面白いことはない。


人生の質

2017年08月10日 10時32分

 米国の小説家アーネスト・ヘミングウェイに短編「挫けぬ男」があるのをご存じだろうか。かつて闘牛士として一時代を築いたマヌエルが返り咲きを夢見、興行師の戸を叩く話である。ただ、既に老い、けがで片足を失っていた。しかも病院から出てきたばかりという

 ▼復帰は無理と見た興行師が「どうしてまともな仕事を見つけて働きに出ないんだ」と尋ねると、マヌエルはこう答える。「あっしは闘牛士なんだ」。やりがいもなく命をつないでいるだけなら、本当に生きているとはいえないとの意志表明だろう。仕事でも趣味でも、自分のしたいことができてこその幸福。「クオリティー・オブ・ライフ(人生の質)」が近年重視されるゆえんである

 ▼病状が進んだ高齢のがん患者に積極的な治療をしない病院の割合が高まっているそうだ。国立がん研究センターがきのう発表したデータで分かったことである。手術や薬の副作用で苦しませるより、人生の質を高めるよう治療のあり方が見直されているらしい。ホスピス医小野寺時夫氏は著書「人は死ぬとき何を後悔するのか」(宝島社新書)で嘆いていた。余命少ない貴重な時期を効果のない治療に費やし、ずたずたになってからホスピスに来てすぐ亡くなってしまう患者が多いのだとか

 ▼先の小説でマヌエルは勝負の機会を与えられ、闘牛場で果敢に戦った。あえなく牛に瀕死(ひんし)の重傷を負わされたものの、絶え絶えの息の中、誇らしげに言うのである。「すばらしい成功をおさめるところだった」。最後までかく自分らしくありたいものだ。


暑い日が続く

2017年08月09日 09時08分

 先の日曜日のこと、札幌の新川通でジョギングをしていたのだが、前田森林公園を走っている辺りで暑さに耐えられなくなった。午後1時すぎころである。後で調べると気温は30度近くに達していた。日差しが強く照り返しもあるから体感としてはもっと高い

 ▼ほうほうの体で道沿いのスーパーに逃げ込み、アイスを食べて体を冷やし事なきを得た次第。店はそんなランナーたちでちょっとしたにぎわいを見せていた。「炎天のここが中心かと思う」山中麦邨。真夏の日盛り、自分が太陽に一番あぶられているような気になるから不思議である。もっとも感じ方は人それぞれ。暑さに強いと過信して熱中症になる人もいると聞く。注意を呼び掛ける人が身近にいるに越したことはない

 ▼同じ日曜日、北海学園大アメリカンフットボール部の男子部員が部活中に熱中症で亡くなったそうだ。午後2時すぎのことだったという。注意を呼び掛けてはいたのだろうが、事故が起きたのであれば何かが間違っていたのだろう。「炎天下道路工事に脱帽す」松尾美代子。道路工事に限らず、屋外の現場で作業する方々には本当に頭が下がる。本道も平年以上の高い気温で推移しているが、西日本などでは35度を超える猛暑が続く。汗で身も細る毎日なのに違いない

 ▼水分と塩分の補給は適切か、休憩はとれているか、つらいけど急いでいるからと無理はしていないか。個人に全てを任せるのでなく、管理監督者が目配りし、早め早めに手を打つのが肝要である。熱中症による死亡の悲劇を防ぐのに、予防に優る近道はない。


ASEAN50周年

2017年08月08日 09時30分

 民俗学者梅棹忠夫に「東南アジアの旅から」(『文明の生態史観』中公文庫)の論考がある。世界史の中にこの地域を位置付ける試みなのだが、書き出しが印象深い

 ▼「われわれは、東南アジアをどうみるか」と自ら問い掛けた上で、こう答えているのである。「どうみるもなにもあったものではない。わたしたちは、東南アジアについていったいなにをしっているというのだ。ほとんどなにもしらないではないか」。実はこの論考、梅棹氏が1957年から58年にかけて東南アジア諸国を学術調査で巡った後、発表されたもの。随分と昔の話だが、ビジネスや観光で格段に関係が深まっているとはいえ、今も一般の日本人にとって事情はさほど変わっていないかもしれない

 ▼東南アジア諸国連合(ASEAN)がきょう、設立50周年を迎える。これを知っている人もそう多くないだろう。加盟10カ国のほとんどが植民地で、経済と文化の復興に乗り出したのは戦後独立してからのこと。ASEANはその礎だった。ところで近年、中国がASEANの海ともいえる南シナ海で不法開発を進め、地域の経済や平和を脅かしている。航路を利用する日本にとっても人ごとでない

 ▼ASEANと中国は6日、外相会議を開き、紛争防止に向けた行動規範の枠組みを了承した。だが、実効性には疑問符が付くようだ。中国の意向に逆らえない国も多い。梅棹氏は論考でこんな指摘もしていた。「異質なものが、どういうようにうまく結合されるかをかんがえねば」。その通りだろう。ただ、答えは容易に見えてこない。


ヘッドライン

ヘッドライン一覧 全て読むRSS

e-kensinプラス入会のご案内
  • 川崎建設
  • web企画
  • オノデラ

お知らせ

閲覧数ランキング(直近1ヶ月)

おとなの養生訓 第245回 「乳糖不耐症」 原因を...
2023年01月11日 (1,658)
函館―青森間、車で2時間半 津軽海峡トンネル構想
2021年01月13日 (1,472)
おとなの養生訓 第43回「食事と入浴」 「風呂」が...
2014年04月11日 (1,120)
おとなの養生訓 第170回「昼間のお酒」 酔いやす...
2019年10月25日 (999)
おとなの養生訓 第109回「うろ」 ホタテの〝肝臓...
2017年03月24日 (727)

連載・特集

英語ページスタート

construct-hokkaido

連載 おとなの養生訓

おとなの養生訓
第258回「体温上昇と発熱」。病気による発熱と熱中症のうつ熱の見分けは困難。医師の判断を仰ぎましょう。

連載 本間純子
いつもの暮らし便

本間純子 いつもの暮らし便
第34回「1日2470個のご飯粒」。食品ロスについて考えてみましょう。

連載 行政書士
池田玲菜の見た世界

行政書士池田玲菜の見た世界
第32回「読解力と認知特性」。特性に合った方法で伝えれば、コミュニケーション環境が飛躍的に向上するかもしれません。