北海道カラーユニバーサルデザイン機構(北海道CUDO)には、誰でも加入できる会員組織があります。会員相互の親睦とカラーユニバーサルデザイン(CUD)についての情報共有が目的で、勉強会や意見交換など「会員の集い」を1年に数回開いています。コロナ禍の昨年は直接会うことがままならず、オンラインの集まりが主になりました。
会員の集いでは、かつての色覚検査の様子や進路選択時に経験した苦しさを、会員さん自身が話してくれることがあります。色覚検査票を示す担任の先生から「こんなことも分からないのか」と言われたり、色弱を隠し通した経験は聞いていてつらいものです。
色の見え方は生まれついてのものなので、基本的に生涯変わりません。しかし昭和の時代は色覚検査を毎年していた時期がありました。春の身体検査のたびに色弱と判断されるのは、子どもにとって過酷なことだったでしょう。石原式検査票を〝悪魔の本〟と言った方もいますので、「これさえ無ければ」と考えた児童や生徒はたくさんいたと思います。
色覚検査は大学の医学部、教育学部、農学部、工学部などへの入学制限や、職業制限の元になり、本人の努力とは無関係に門戸を閉ざしていました。生き方を大きく変えざるを得なかった人が多くいたのです。現在は入学制限はなくなり、職業制限も緩和が進んでいます。
北海道CUDOで活動していると、色弱の差別や偏見について向き合うことが少なくありません。私は色弱ではないので、色弱の差別は経験していませんが、別の差別を受けたことがあるからか、その痛みに強く反応してしまいます。どの差別にも共通の匂い、優劣を押し付ける独特のにおいを感じるのです。
それは、学生時代最後の秋が終わる頃でした。「女が就職しようとするから男の就職が決まらないんだ」就職先が決まらない同期の男子学生から、強い言葉を投げ付けられました。
男女同権の教育を受けてきたはずなのに、こういう差別発言をする人が周囲にいたのです。驚きでした。今ではセクハラと非難されますが、逆に「まあまあ」と私が我慢を強いられる始末。その後に出会う差別の序章のような出来事でした。
ところが、平成の中ごろから、少しずつ不快な発言が少なくなりました。たとえ差別的発言があったとしても、私が言い返す前に周囲の人が発言者をたしなめるのです。
男女雇用機会均等法の施行以降、女性の労働環境をテーマにするメディアが増え、多くの人が女性の働く実情を知ることになりました。学びを積み重ね、深く考えることは、その立場をイメージする力になります。
女性の労働環境について、子ども時代から見聞きしてきた今日の若い男性は、女性が働くことを特別なことと捉えていないと私は感じます。時間をかけて得た知識と理解は、差別的意識そのものが存在しない世界をつくろうとしているようです。
CUDが一般に認識され始めたのは今世紀に入ってからです。つらい経験を語ってくださった皆さんは、北海道CUDOの活動を見て「時代が変わったと感じます」と少しうれしそうに、そして少し悔しそうにおっしゃいます。
理不尽な差別があったことを、私たちは心に刻んでおかなければいけません。CUDを正しく知り、きちんと理解すると、差別がどれほど無意味なことなのかが分かります。
色覚についての研究は今も進化中で、非常に興味深い研究発表もされています。いずれご紹介できればと思います。無知は恥ずかしくないけれど、無知の放置は恥ずかしい。
(北海道建設新聞2021年3月11日付3面より)