昨年の1月、松が取れた頃に洗濯機が壊れ、その後、ほぼ月一のペースで、家電が機能停止に陥ったり、悲鳴をあげたりが続きました。こういう買い替えのタイミングが連鎖的に発生するのは、ままあることで、昨年はまさにそういう年でした。
洗濯機は「そろそろ寿命?」と感じていたのですが、実際に動かなくなると、結構慌てます。すぐに電機店に走りました。わが家には、購入時の絶対条件があります。洗濯室の入り口の幅が、有効500mmしかないので、幅か奥行きのどちらかが500mm以下であることがその条件です。
洗濯機が大型化していることは知っていたものの「もしかしたら、小型のドラム式洗濯機が選択のテーブルに乗るかも」と少しだけ期待しました。しかし500mm以下の絶対条件にはあらがえず、一般的な全自動洗濯機を購入。なかなか良い仕事ぶりです。
洗濯は衣服を着用した結果、発生する作業です。現代より布地が貴重だった頃は、丁寧に洗いながら、繰り返し着ていたはずです。古い絵を見ると、川で踏み洗いやもみ洗いをしている女性が描かれています。真夏はともかく、春先や冬も近い季節は、水も冷たいでしょうし、水を含んだ布地は重く、かなりきつい作業です。
井戸端にタライを置いて、しゃがんでもみ洗いする女性が描かれた絵もあります。腰が痛くなりそうで、今なら3Kと言われるかもしれません。でも、これと同様の風景は、電気洗濯機が普及する昭和中期まで続きました。明治期にせっけんと洗濯板が加わりましたが、洗濯の様子は大きく変わりませんでした。
洗濯機のない頃の洗濯は大変そうだなぁ―と考えていたら、婦人之友社の創立者・羽仁もと子さんが洗濯を〝家庭の大仕事〟と言い、その作業時間を記録していたことを知りました。
浴衣、ワイシャツ、シーツ、肌じゅばん、ズボンなど10点それぞれを洗いとすすぎに分けて計測。洗いの合計が56分、すすぎの合計が42分、泥汚れの予洗いに6分、洗濯物を竿に掛け、道具を洗い、片付けるのに30分、合計134分(2時間14分!)です。
計測に協力した永井さんは洗濯上手な方のようですが、この重労働を毎日していたとのこと…。このような女性たちの頑張りが、当時の日本人の清潔で身ぎれいな姿を保っていたと言えそうです。
国産の電気洗濯機が販売されたのは1930年ですが、市民生活に定着したのは、第二次世界大戦後の1960年代です。その後、60数年の歳月を刻みながら、洗濯機は洗濯という重労働の担い手に成長しました。
今、私が洗濯に要する時間は10―15分程度です。ずっとセーターは手洗派でしたが、新しい洗濯機はなかなか上手で、最近はお任せしています。洗濯機が稼働中、この原稿を書いたりもするので、「洗濯作業限定の口数が少ないお手伝いさんがいる」感じです。
今の洗濯機の働きぶり、羽仁さんと永井さんはどう見るでしょう。